解放トップ
トップに戻る
解放最新号
バックナンバー
論文
定期購読

東北関東大震災被災労働者人民支援大運動を

東北・関東大震災下の越年・越冬闘争をやりぬく 
(1003号2面)

 「生きて年を越し、ヤツラにやり返そう」越年・越冬闘争をやりぬく
12・28-1・4 東京・山谷

越冬闘争準備の過程から新しい仲間が結集

 12月28日から1月4日までの8日間、東京・山谷日雇労働組合と山谷越年・越冬闘争実行委員会は、山谷・玉姫公園を実力占拠し、2011-2012年山谷越年・越冬闘争を闘いぬいた。

 〈大恐慌時代―大失業時代〉の到来は多くの労働者から寝床を奪い、多くの労働者に野宿を強制している。山谷・玉姫での越年・越冬闘争には建設・土木で働いていた労働者のみならず、「派遣切り」や「雇い止め」にあった「非正規雇用」労働者が合流した。

 山谷でもアブレ(失業)続きで、長期の野宿を強いられている仲間が、また、緊急避難的に「生活保護」を受けた仲間が、越年・越冬の玉姫公園に結集し、寝食をともに闘いぬいた。

 東北・関東大震災、そして福島の原発の事故現場にはアブレで苦しめられている日雇い労働者が過酷な労働条件で雇われ、使い捨てにされている。また、「震災特需」で一部のゼネコンや人夫出し業者が潤う一方で、首都圏で現金日払いの仕事を探す日雇いの仲間は恒常的なアブレに苦しめられている。

 失業と野宿に追い込まれる労働者が激増しているにもかかわらず、東京都・台東区・墨田区など行政による野宿労働者に対する叩き出しの攻撃が激化している。そして行政の叩き出し攻撃の尻馬にのっかかって、酔っ払いや未成年者が野宿の仲間に対する襲撃事件を起こしている。隅田川沿いの白髭地区や12月11日には江東区の都立大島小松島公園で野宿の仲間が重傷を負う襲撃事件が発生しているのだ。

 12月7日には城北労働・福祉センターに対して「利用者カードを希望者全員に発行しろ」「センターの設備・運営を日雇い労働者のために改善しろ」「東京都による山谷越冬対策の縮小を許さないぞ」と要求し、山谷の仲間たちが交渉を闘いぬいた。

 12月に入ると、越冬闘争資金作りのために連日の街頭カンパ活動が闘われ、東京・山日労には物資・資金カンパが連日届けられた。

 12月13日、12月23日には越年・越冬闘争実行委員会の会議を開き、越冬闘争に向かって準備の活動と体制が整った。

12月27日、玉姫公園に資材・物資を搬入

 12月27日には越冬闘争の拠点となる玉姫公園に資材や物資が運び込まれ、初日の28日の午前6時30分になると越冬実のなかまがセンター前に結集し、「スーパー島田屋」前に移動して越冬闘争への合流を呼びかける朝行動をやりぬいた。午前7時30分、越冬実に結集するなかまたちは「ワッショイ! ワッショイ!」のかけ声を上げながら、玉姫公園に進撃を開始する。浅警は「無届けデモだ」などと規制をかけようとしてきたが機動隊をはじきとばして越冬実のなかまたちは玉姫公園内に到着した。朝の食事をすませると直ちに越冬闘争の準備のさまざまな作業を分担しながら進めていく。金町一家、国家権力の越冬破壊を許さないため公園の入口には防衛班の仲間が任務につく。また手の空いているなかまはみんなでトラックに満載された道具や資材、食料、フトン、マキを公園内にリレーで運び入れる。設営班の仲間は前日の段取りどうりに大テントなどの寝床作りにとりかかる。炊事班の仲間は道具類の下洗いや点検を行ない、また炊事の作業台や食糧庫、道具置き場の組み立てに取り組む。公園内での準備の作業中にもトラックで物資を運んできた物資班の仲間が資材や食料・マキなどを次々と運び入れる。日中の準備作業をやりぬき、午後5時に越冬実の仲間全員が集まり打ち合わせを行な、「団結ガンバロー」とかけ声をあげ、午後6時からの越冬闘争最初の夕食の炊き出しに臨んでいった。

12月28日、越年・越冬突入集会がかちとられる

 12月28日、午後7時から越年・越冬闘争突入集会がかちとられた。「反戦・反失業を闘う釜ヶ崎労働者の会」、福岡・築港日雇労働組合、沖縄・首里日雇労働組合から、連帯メッセージが紹介された。釜ヶ崎の仲間は「12月24日、60人以上のなかまの結集で、『釜ヶ崎越年・越冬闘争へむけた上映集会』の成功をかちとった。そして、ここでうち固めた団結を力に、12月29日から1月3日まで『夜回り・人民パトロール』を闘いぬく」。福日労の仲間は「今月31日から1月2日までの3日間の越年・越冬闘争を、市内・明治公園を拠点に闘いぬく。1月4日には、市役所へのデモにたちあがる」。沖日労の仲間は「沖日労は普天間基地解体・名護新基地建設阻止、高江ヘリパッド建設阻止を断固として闘います」。続いて、東京・山日労が越冬闘争の基調を読みあげる。「今日から突入した越年・越冬闘争で仲間の団結をうちかため、1月4日にはみんなで東京都と厚生労働省へのりこもう」。防衛班・人民パトロール班の仲間は「金町一家、権力の妨害をはねのけて、越年・越冬闘争をやりぬく」「野宿するなかまに声をかけ、夜の人パトをやりきる」。炊事班の仲間は「たくさんの食事を用意していくので、みんなも炊事の仕事に協力してほしい」。それぞれ力強く頼もしい決意が明らかにされた。突入集会の後は、娯楽映画の上映を行ない、初日の作業でがんばった仲間たちはくつろいだ夜を過ごした。

 午後9時、人パト班が浅草地区の夜回りに出発する。人パトでは、12月28日から1月3日まで浅草地区、山谷地区を回り、ビラ・パン・オニギリ・果物・使い捨てカイロを野宿する仲間たちに配った。

12月29日、「なぎさ寮」受付会場で玉姫越冬への合流を呼びかける

 12月29日午前九時、東京・山日労と越冬実は、東京都の山谷越年・越冬対策「なぎさ寮」入寮受付会場の台東リバーサイドスポーツセンターで、入寮希望の労働者に越冬実の「黙って野垂れ死ぬな」のビラを配布し、「1月2日の『なぎさ寮』でのモチツキで再会しよう。4日には玉姫公園に戻ってきていっしょに都庁・厚生労働省追及―弾劾行動に起ち上がろう」と訴えた。29日の夜の企画「労働運動の現場から」では、元国鉄労働者で、全国労働組合運動交流会の結成を呼びかけている佐久間忠夫氏が駆けつけ、「年齢80歳になったが、みなさんとともに今後も労働者のために闘いの現場にたち続ける」と連帯のあいさつを行ない、ユニオン出版ネットワーク(出版ネッツ)に加盟する仲間が、労働相談から取り組んだ争議解決の報告などを行なった。出版ネッツの仲間は、炊事などの作業も担った。多くの食材を提供してくれた生協で働く労働者も連帯あいさつを行なった。連帯あいさつの後、アメリカ・ニューヨークでの「ウォール街を占拠せよ」のニュース映像が上映され、韓進重工業の籠城闘争を闘ったキム・ジンスク氏の闘いを描いたドキュメント「希望のバス」が上映された。

 30日の夜の企画では「反戦闘争」をテーマに沖縄・名護市辺野古や東村・高江のヘリパッド建設阻止闘争の記録ビデオなどが上映された。

1月1日、2012年新年総決起集会がかちとられる

 2011年の大晦日を迎えた玉姫公園では、31日の夜の企画で、「東京大衆歌謡楽団」がナツメロの歌と演奏を披露した。生演奏を楽しんだ後、カラオケ好きの仲間がみんなに自慢ののどを披露した。そして、1月1日、午前11時からの玉姫公園内での団結モチつきでは「ヨイショ、ヨイショ」のかけ声を受けて、5ウス分のモチをつきあげた。夜は2012年の最初の総決起集会だ。午後7時、越冬実本部が「2012年も『反戦・仕事よこせ』を闘うぞ! 1・4都庁行動、厚生労働省団交を闘い、1・15日雇い労働者全国総決起集会とデモを闘うぞ!」と呼びかけ、越冬実に結集する東京都地域連合労働組合、神奈川県地域連合労働組合、反安保労研東京センターが新年の決意を明らかにした。そして明治大学学生会中執・学苑会中執の仲間からの獄中アピールが紹介・代読された。実行委員会各班の元気な発言が続く。このあと集会参加者全員に酒やジュースが配られ、乾杯して越冬闘争後半にむけた決意をうち固め、鉄工所の労働争議を描いた映画「ドレイ工場」が上映された。

 1月2日には、「なぎさ寮」に入寮している山谷の仲間との交流を深めるため「なぎさ寮」で団結モチつきを行なった。午前10時、庭に出てきた山谷の仲間が元気よく杵を手にしてモチをつき始める。3ウス分のモチがつきあげられ、また少しだけだが酒も振舞われた。1月4日には玉姫公園に合流し、ともに都庁と厚生労働省への行動に立ち上がることを確認した。1月2日の夜の企画では「山谷(やま)―やられたら、やりかえせ」の上映を行なった。今年の越冬闘争には山谷にはじめてきた仲間も多い。金町一家との熾烈な攻防を通して前進してきた山谷労働者の闘いの歴史を学び、そして「1・15佐藤さん虐殺27ヵ年 山岡さん虐殺26ヵ年弾劾! 金町一家解体! 日雇い労働者全国総決起集会」への決意をうち固めていった。日本基礎技術(株)から見習い期間中に解雇された、本田福蔵氏が玉姫公園の越冬闘争に参加した。「山谷(やま)―やられたら、やりかえせ」上映の前に、その本田氏から争議の経過報告と闘いの決意表明をうけた。

1月3日、総括集会で東京都庁・厚生労働省弾劾―追及の決意をうちかためる

 1月3日の午前中には、年末・年始を東京拘置所ですごす獄中の仲間への激励行動が取り組まれた。この行動には、獄中経験のある山谷の仲間が中心になり、マイクを握って獄中者への励ましを行なっていった。

 午後7時からは山谷越年・越冬闘争をしめくくる総括集会がかちとられた。東京・山日労は、「設営を含めみんなが苦労を分かち合い越冬闘争が実現した。仲間の命は仲間の団結で守りぬく。うち鍛えられた団結を武器にして明日の行動、そして1・15日雇い労働者全国総決起集会を闘いぬいてこう」と提起した。越冬実を担った炊事班・設営班・防衛班・人パト班が発言し、最後に「団結ガンバロー」で総括集会をしめくくった。その後、戦前水平社の結成を担った西光万吉を描いたドキュメンタリー、狭山差別裁判を取材した報道番組のビデオを上映していった。

1月4日、東京都と厚生労働省に対する追及―弾劾行動に決起

 仕事始めとなる1月4日、赤ハチマキをしめ組合旗とムシロ旗を掲げた東京・山日労と越冬実が都庁にむけて「ワッショイ!ワッショイ!」のかけ声を響かせながら力強く玉姫公園から進撃する。都庁前では福祉保健局生活部副参事山谷対策担当の木原、山谷対策係長・水沢が制服警官、ガードマンに守られながら待ち構えている。

 東京・山日労と越冬実は都に対して、3点について抗議文を突きつけた。‥豕都は失業に苦しむ全ての日雇い労働者が利用できるよう城北労働・福祉センターを指導しろ。東京都は「特別就労対策事業」「緊急雇用対策」の仕事を増やせ。E豕都は、公園や河川敷などからの野宿労働者の追い出しをやめろ、という内容だ。木原は「抗議文は受け取りました」と返答するだけで、仲間たちからの質問や怒りにダンマリを決め込むばかりだ。30分にわたる追及と弾劾の闘いをたたきつけ、仲間たちは厚生労働省との団交に向かった。10時45分に厚生労働省正門に陣取った東京・山日労と越冬実は用意した「黙って野垂れ死ぬな」のビラをまき始める。一一時になると全員が厚生労働省との団交に臨んだ。 峩杁涕柩兮从事業」を継続し、失業者に仕事を。◆嶇働者派遣法改悪」をやめ、「労働者派遣法」を撤廃しろ。就職できない失業者を野宿の道に追いやる生活保護制度見直しを中止しろ、という内容だ。厚生労働省の役人どもは「雇用は民間にまかせる」との態度で、仲間たちの「緊急雇用の仕事の年度内打ち切りを許さん!国の責任で仕事を出せ」という要求に対し、何ら誠意ある回答を示そうとはしなかった。1時間半にわたる交渉を闘いぬいた仲間たちは、再び正門前に整列してシュプレヒコールをあげ、厚生労働省に対する追及―弾劾行動を終えていった。

2012年階級攻防の最前線へ

 今期の越年・越冬闘争の炊き出しは計14回、食数にしておよそ2100食であった。昨年より約400食減った。生活保護受給者の数が増加したことによると思われる。「なぎさ寮」の入寮者も215人で前年の3分の2にまで減っている。城北センターによる「利用者カード」取り上げによって、センターに登録する労働者が半減しているため都の山谷越冬対策事業=「なぎさ寮」臨時宿泊からも締め出される失業する日雇い労働者がでているのだ。年末・年始には浅草地区が観光客でゴッタがえして眠れない。このため普段、夜を浅草で寝泊りしている野宿の仲間たちは、この期間、浅草や山谷地区を離れ、孤立と分散化を余儀なくされている。東京都、城北労働・福祉センターによる日雇い労働者・野宿労働者の切り捨てを絶対に許していってはならない。

 「非正規雇用」などで働きながら年末・年始に仕事が切れて、アブレた比較的若い労働者が今年も山谷の越年・越冬闘争に参加した。また、山谷・玉姫公園での越年・越冬闘争に対して、物資・資金カンパを寄せる労働者人民も増加した。玉姫公園に直接、差入れに足を運んだ労働者人民も、炊事や雑用などの作業に新しく参加した労働者人民も増えた。

 今期の越冬闘争では、山谷の労働者や野宿労働者全員が国家権力・金町一家による破壊策動を許さないために、睡眠時間を削り、夜の不寝番や深夜の防衛活動を含め24時間の防衛体制を担いぬいた。そして機動隊が包囲するなか、連日のワッショイデモに決起して、機動隊の壁にぶち当たり、闘志あふれる闘いを貫徹した。

 2012年度は、国の「緊急雇用対策」も打ち切られ、よりいっそうアブレを強いられる。業者・手配師の年齢制限や顔付け優先によって民間の仕事から締め出される仲間も増えつつある。越年・越冬闘争で鍛えた日雇い・労働者、野宿労働者、また「非正規雇用」労働者どうしの団結を打ち鍛え、「反戦・仕事よこせ」の闘いの爆発をかちとっていこう。



12・24「越年・越冬闘争へむけた上映集会」、12・29―1・3「夜回り・人民パトロール」を闘いぬく!
大阪・釜ヶ崎

 釜ヶ崎では、「反戦・反失業を闘う釜ヶ崎労働者の会」が12月24日に西成市民館で「越年・越冬闘争へむけた上映集会」を開催した。そして、12月29日から1月3日までの「夜回り・人民パトロール」を貫徹した。

 「越年・越冬闘争へむけた上映集会」には、多くの日雇い・野宿労働者をはじめ約60人が結集した。はじめに、集会の基調が提起された。基調では、「釜ヶ崎労働者の会」は越年・越冬闘争として、12月29日から1月3日までカイロ、おにぎり、防寒着、タオル、ビラなどを持って「夜回り・人民パトロール」を闘うこと、そのために、定期的に駅頭でカンパ活動を行ない、資金をはじめ、衣類・物資のカンパも呼びかけていることが紹介された。そして、野田連合政府によるアブレ(失業)地獄―野垂れ死に攻撃が暴露され、大阪府や大阪市に対して「仕事出し」を要求する行政闘争を闘ってきたことが明らかにされ、さらに、パナソニック、ヤンマー、日本基礎技術、自治労滋賀県本部など、「非正規雇用」労働者の争議に連帯し、集会、デモ、裁判の傍聴支援などを共に闘ってきたこと、また、反戦闘争や東北・関東大震災被災労働者人民支援を取り組んできたことがも明らかにされた。基調提起の最後に、越年・越冬闘争のスローガンが提起された。参加者全体の「ヨシ!」の声で確認されていった。

 次に、東京・山谷日雇労働組合、福岡・築港日雇労働組合、沖縄・首里日雇労働組合からの連帯メッセージが読みあげられ、参加者から大きな拍手が送られた。

 1本目の上映作品は、山谷の労働者が天皇主義右翼ファシスト・国粋会金町一家と体を張って闘う攻防などを描いた映画=「山谷(やま)―やられたらやりかえせ」だ。参加者は、熱心に見入っていた。 続いて、「寅さん」が上映され、会場は大きな笑いでいっぱいになった。

 最後に、行政が閉まる年末・年始の釜ヶ崎周辺での「夜回り・人民パトロール」への結集―仲間の命を守る行動への参加が呼びかけられた。「昨年7月に亡くなった岡本暢夫氏は、自分自身が野宿して非常に苦しい体験をしていた。そのために、前回(2010-2011年)の越年・越冬闘争では、歩行が困難となっていたにもかかわらず、おにぎりやカイロを野宿しているなかまに手渡し、力づけていた」「最後の最後まで日雇い・野宿の仲間への思いやりをおしまず、寄せ場労働運動への情熱を燃やし続けた岡本暢夫氏の生きざまに学び、遺志を引き継ぐものとして、今回(2011-2012年)の越年・越冬闘争を闘おう」。越年・越冬闘争の勝利へむけて、「一人の野垂れ死にも許すな!」「生きてやつらにやり返そう!」「団結してガンバロー!」と熱気の中で集会は終了していった。

 大阪市は今年も南港臨時宿泊所を設置したが、この厳しい失業状況の中、今年も大阪市は入所資格を」あいりん地域に居住する、(原則として)40歳以上の単身日雇労働者」という入所制限を行なった。2010年は12月29日と30日の2回の入所受付であったのが、2011年は12月29日の1回のみとなった。3年前は1324人、2年前は637人、前回(2010-2011年)は567人だったが、今回(2011-2012年)は492人の入所者だった。

 12月29日から、人パトが開始された。人パト隊は、ビラ、カイロ、おにぎり、タオル、防寒着、毛布、風邪薬などを持って回っていく。まずセンターの周辺で野宿している労働者のもとを、1人1人回る。ダンボールや布団を用意して野宿している労働者もいれば、何の用意も無く体ひとつで寝ている労働者もいる。カイロやおにぎりを渡すと「ありがとう。本当に助かる」という声が返ってくる。センターを一周しただけで、100人以上が寝ている。続いて人パト隊は、南海電車のガード下、萩ノ茶屋や山王商店街のアーケード、恵美須町駅周辺、日本橋電気街など、釜ヶ崎周辺を回っていった。12月31日の人パトには、ヤンマー争議当該でびわ湖ユニオン書記長の稲森秀司氏が参加して共に人パトに取り組んだ。釜ヶ崎では、近年、多くの日雇い・野宿労働者が生活保護を受給するようになった。だがしかし、人パトを通してわかったことは、前回以上の人数が釜ヶ崎周辺で野宿を強いられているという事実だ。

人パトでは、「アブレ地獄―野垂れ死に攻撃を粉砕しよう!」「生きてやつらにやり返そう!」と闘いへの結集を呼びかけていった。このようにして、6日間にわたって」1人の野垂れ死にも許さない越年・越冬闘争の「夜回り・人民パトロール」が貫徹された。