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東北関東大震災被災労働者人民支援大運動を

4・28―5・15沖縄人民解放闘争へ (1001号5面)

 4・28―5・15闘争の狹椶蠅汎いの日瓩箸靴討良活をかちとろう

 4・28―5・15は、沖縄労働者人民にとって、日米帝国主義との譲れぬ闘いの日だ。4月28日は、1952年サンフランシスコ講和条約の発効によって、沖縄が米軍政下に叩きこまれた「屈辱の日」である。5月15日は、1972年、「沖縄返還」の名のもと、日米反革命階級同盟―日米安保体制の維持・再編のために、沖縄が日帝のもとに再統合された日である。
 1945年2月、日帝の敗戦が決定的になる中、天皇ヒロヒトは「国体の護持」=天皇制の維持のために「もう一度戦果をあげてから」と日本「本土」防衛の「捨て石作戦」として沖縄戦突入を決定した。3月から開始された沖縄戦によって、住民の3分の1にのぼる20万人以上が虐殺された。米軍のみならず「スパイ」視されての日本軍による虐殺、「皇民化教育」と「軍官民共生共死」方針下の軍命による「集団自決」は、他に類のない沖縄戦の実相である。天皇制の護持のために沖縄戦を強要したヒロヒトは、敗戦後の1947年、「米国が沖縄その他琉球諸島の軍事占領を続けるよう希望する」との「天皇メッセージ」を発し、自らの命乞いのために沖縄を米軍政下に売り渡した。これと引きかえに、天皇制の存続と日本「本土」の独立が認められたのだ。
 以降沖縄は、「日本を反共の防波堤にすべし」という米帝戦略のもと、〈太平洋の要石〉とされ、「銃剣とブルトーザー」によるすさまじい土地強奪を通した米軍基地建設が進められる。沖縄労働者人民はまったくの無権利状態におかれ、抵抗すれば容赦ない弾圧が加えられた。しかし、沖縄労働者人民は、「島ぐるみ闘争」と言われる土地闘争をはじめ、頑強な闘いをくりひろげた。ベトナム反革命戦争の全面的拡大の中、反戦・反基地闘争が激しく闘われ、米軍政への怒りはついに1970年、「コザ暴動」として一気に爆発する。沖縄労働者人民の闘いと連動した日本「本土」労働者人民の闘いも、安保―沖縄闘争として大高揚する。この闘いは、米軍政支配と日米安保そのものを震撼させる大闘争としてうちぬかれた。
 この危機を打開するために、日米帝国主義は「沖縄返還」を決定する。しかし、「返還」の条件とされた「核抜き本土並み」の公約は反故にされ、米軍による核の持ち込みや貯蔵がひそかに承認され、米軍基地はそのまま残ったうえに日帝軍隊―自衛隊が沖縄に進駐した。「返還」は「平和憲法のもとへの復帰」要求を逆手にとった日帝ヤマト政府のもとへの再統合だったのだ。そして、今日にいたるまで沖縄の基地を永続的に日米帝国主義が使用し、沖縄労働者人民に基地との共存を強いるものだったのだ。
 沖縄労働者人民は、4・28―5・15を狹椶蠅汎いの日瓩箸靴董反戦・反安保の闘い、天皇制と日帝ヤマト政府への闘いを今日に至るまで貫いてきた。今日、拡大・激化する国際反革命戦争の出撃拠点として、日米安保の要として、〈基地・沖縄〉はますます強化されようとしている。

普天間基地解体・名護新基地建設阻止を闘いぬこう

 今年はサンフランシスコ条約60年、「返還」40年を迎える。昨年11月沖縄防衛局長・田中聡(当時)は「(環境影響評価書を提出する時期について)(女性を)犯すときに、『これから犯しますよ』と言うのか」と女性差別になぞらえた発言を行ない、更迭された。この発言では他にも「400年前の薩摩藩の侵攻のときは、琉球に軍がいなかったから攻められた。『基地のない、平和な島』。あり得ない。沖縄が弱いからだ」と言い放っている。薩摩藩の侵攻、そして日帝明治政府の琉球処分による天皇制・ヤマトの沖縄反革命統合攻撃を正当化し、徹底して居直るヤマト官僚の発言だ。沖縄労働者人民への反革命統合支配の強化、そしてこれと一体となって、今秋の天皇・アキヒトの沖縄訪問をテコとした皇民化の攻撃が強められようとしている。天皇制・ヤマトへの同化攻撃と対決する沖縄労働者人民の闘いと固く結びつき、アキヒト訪沖を絶対に阻止していかなければならない。
 本年4・28―5・15闘争の爆発から、沖縄人民解放闘争の前進・飛躍を断固きりひらいて闘おう。
 野田連合政府は、名護市辺野古への米海兵隊基地建設に猛然と突撃している。
 閉庁となる年末年始を控えた2011年12月28日の最終日、「県」庁職員もまだ出勤していない午前四時、沖縄防衛局長・真部を先頭に「環境影響評価書」の運び入れを強行したのだ。
 沖縄労働者人民は野田政府・防衛省が明言してきた「評価書の年内提出」を絶対阻止すべく、「県」庁前に、12月26日から連日300人規模の阻止行動に起ち上がった。27日には防衛局から委託された宅配業者による「評価書」の運び込み代行に対し、これを断念させた。そして28日早朝の防衛局「評価書」搬入強行に怒る労働者人民が、これを「受理」した知事・仲井真、「県」当局に対して知事室前での座り込みの実力行動に立ち上がり、また残りの「評価書」提出を阻止すべく、年末・年始の「県」庁前座り込みの闘いを続行していったのだ。
 「県」環境影響評価書審査会は、2月8日に「辺野古新基地建設が環境の保全に重大な支障が生じ、生活環境や自然環境の保全は不可能、住民等や委員からは『方法書からのやり直し』を要求される」という答申を知事に提出。審査会会長・宮城は記者会見で「委員の意見は(新基地建設事業の)中止なり変更が望ましいとなっている」と述べた。2月20日の知事意見書では2・8審査会答申に沿った「(事業によって)生活・自然環境の保全は不可能」、「(普天間基地の)一日も早い移設・返還の実現が必要」、「地元の理解が得られない移設案を実現することは事実上不可能」と明記せざるをえなかった。
 防衛省は今後、滑走路建設のために「公有水面」埋め立ての申請を行なおうとしている。許可権限を握る知事・仲井真への恫喝と屈服を引き出そうというのだ。名護新基地建設への策動を絶対に許してはならない。

朝鮮反革命戦争の危機と対決し沖縄―日本「本土」貫く革命的反戦闘争の爆発を

 名護新基地建設が進展しないことに業を煮やす米帝・オバマは、普天間基地固定化をもにらんだ攻撃に踏み込もうとしている。米帝・オバマは「海兵隊のグアム移転と名護新基地建設はワンパッケージ(一体)」という論をかかげて日帝の尻をたたいてきた。しかし、沖縄における反戦・反基地闘争の爆発によって計画は破綻へと追いこまれている。そのため、「海兵隊の地上部隊の先行移転」が打ち出され、また「普天間基地の改修補強工事」なども策動されている。普天間基地解体の渾身の闘いに決起した昨年10・23の闘いを引き継ぎ、普天間基地に進撃する闘いを爆発させていかなければならない。
 普天間基地固定化策動が強まっている。そして、米帝は今年夏にも、大型輸送ヘリMVオスプレイ配備を進めようとしている。東村・高江でのヘリパッド新設工事はそのオスプレイ配備を前提としたものだ。高江では現地住民の防衛局・工事業者に対する実力阻止の闘いによってヘリパッド新設工事を阻止しぬいてきている。沖縄防衛局による実力闘争封じ込めのための裁判所を使った弾圧訴訟では、1人に対して3月14日に那覇地裁が「将来においても妨害行為をするおそれがある」として、通行を妨害しないよう命じる判決を打ち下ろしている。地裁判決をも乗り越え、高江での実力阻止の闘いと連帯し、絶対にヘリパッド建設を阻止していかなければならない。そして、普天間基地へのオスプレイ配備阻止を闘いぬき、普天間基地解体、米軍基地・自衛隊基地解体の闘いを実現して闘いぬいていこう。基地の移設なんぞは、「国外」であろうが「県外」であろうが、日・米帝のスローガンだ。
 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の「人工衛星打ち上げ」に日帝は、迎撃態勢を強化し、沖縄への迎撃ミサイル配備に踏み込もうとしている。朝鮮反革命戦争突撃への前線基地として自衛隊・沖縄基地の飛躍的強化をもねらった攻撃だ。「動的防衛力」をかかげて日帝自衛隊の南西諸島配備が推進されようとしている。与那国島への地上部隊配備など自衛隊強化を許さない闘いと連帯し、朝鮮反革命戦争粉砕の革命的反戦闘争に決起していかなければならない。
 日帝の支配―沖縄戦―米軍政支配―再度の日帝の下への統合をくぐり、基地との共存を強いられてきた沖縄は、失業率が日本「本土」の二倍、「県」民所得は「四七都道府県」の最下位に常に置かれてきた。基地の受け入れの見返りとして「振興策」「交付金」で恩恵を受けるのは結局日本「本土」の大資本と一部の沖縄ブルジョアジーのみだ。
 沖縄労働者人民に強制された一切の矛盾の解決は、日米安保を粉砕し、帝国主義軍隊と日米軍事基地を解体することであり、日帝の反革命統合支配=同化・差別攻撃を粉砕することだ。そのためには、政府打倒・国家権力解体へ向かう革命的反戦闘争、実力・武装の闘いを通した沖縄人民解放闘争の前進・飛躍を闘いとることが不可欠だ。〈沖縄ソヴィエト樹立を一環とした沖縄―日本「本土」を貫くソヴィエト権力樹立、プロレタリア解放―沖縄人民解放〉の旗幟を鮮明にして、闘いに決起しよう。沖縄労働者人民、在日本「本土」沖縄労働者人民との共同闘争を推し進め、沖縄―日本「本土」を貫く革命的共同を強固にうちたてよう。