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東北関東大震災被災労働者人民支援大運動を

6・24同志石井真作虐殺報復三七ヵ年決戦の猛攻で反革命革マルを解体・絶滅せよ (1020号8面)

 革労協福岡県委員会

 同志石井真作が反革命革マルの襲撃によって虐殺されて37ヵ年を迎える。同志石井真作は革労協総務委員であり、福岡県委員会議長として解放派の労学の闘いを牽引していた。われわれは、プロレタリア共産主義世界革命の勝利にむけて全人格を投入し、26歳の若さで反革命によって命を奪われた同志石井の怒りと無念をわがものとして、虐殺報復37ヵ年の猛攻を革マルに叩き込み、反革命党派の解体・絶滅を完遂することを宣言する。

 1975年6月24日、反革命革マルは静岡県伊東市で会議中の同志たちを武装襲撃した。革マルは襲撃の理由を「解放派が武装蜂起の準備をしていた」とし、自らが武装蜂起反対派であり、武装反革命党派であることを自白した。周囲の電話線を切断し、車両を破壊したうえでの襲撃は、同志たちの虐殺を目的にしたものであったことは明白だ。党派の出生以来の資本と国家権力に対して正面から体を張って闘う部隊を背後から襲撃し「左翼」を偽装した組織作りを目的とする革マルの「他党派解体路線」は、解放派を先頭にした早稲田解放闘争の爆発、1973年9・14―15神大夜襲の敗北―白色テロ分子2人の完全打倒によって破綻を突きつけられていた。これを挽回するために革マルは1974年4・30解放派の指導部会議の襲撃に踏み込み、それまでとは段階を画し明白に虐殺を目的とした6・24反革命襲撃を強行したのだ。

 同志石井は、1968年、九州大学中門での革マルとの戦闘で片方の眼を失明するほどの傷を負いながらも革マルを撃退した突撃力を6・24反革命襲撃に対しても発揮し、反撃の最先頭に立った。最先頭で対峙したが故に革マルの白色テロを集中して受け、無念にも斃れた。

 わが解放派は、この6・24反革命に対して革マル組織の絶滅まで止むことのない相互絶滅型の党派闘争への突入を宣言し、革命的テロルを武器として幾多の戦闘を貫徹してきた。1977年4・15戦闘で、革命軍は革マルの頭目・黒田に次ぐ実質書記長・藤原ら4人の完全打倒を戦取し、牾廛泪襪量ね茘瓩覆礁気い海箸鮴鐺によって示した。

 黒田なき黒田革マルは、プロレタリア武装蜂起にむけた階級闘争の武装的飛躍とそれを推進する革命党派への反革命敵対を深めている。黒田革マルは東北・関東大震災を「国難」とし、「被災民を救援するために日本国軍などを動員して全力をつくせ」と日帝に要求した。ブルジョア支配体制を揺るがす革命的危機には、自衛隊・警察に頼って労働者人民の決起を鎮圧する側に立つという6・24反革命以来の「武装蜂起主義反対」の地金をさらけ出したのだ。革マルは反原発闘争に対して黒田が唱えた「原子力の解放」「原子力の平和利用」を自己批判することもなく、今でも固執しながら反革命介入を策している。革マルは米帝の「アジア太平洋重視戦略」や日帝が強行する自衛隊の「南西諸島配備強化」が朝鮮反革命戦争の発動にむけた攻撃であることを否定し、沖縄の米軍基地再編攻撃に対しても「中国の軍事的脅威に対抗して米日帝が普天間基地移設―辺野古新基地建設を強行している」なぞと分析し、右翼ファシストと共に「中国の脅威」を煽動し、反中国―反共・排外主義を煽りたてている。「エジプト革命」の分析も「武装蜂起主義反対」の反革命路線に引き寄せて軍部支配との武装対決を掲げる「若者グループ」を「急進主義だ」と批判している。

 JR総連・松崎革マルは、死んだ松崎に代わる反革命「指導者」を配置できないために、過去の松崎講演を「われらのインター」に何度も掲載し、松崎崇拝の強化で組合支配の危機を乗り切ろうとしているが、組織の求心力は低下するばかりだ。JR東日本からの「使い捨ての危機」に直面する中、JR総連・東労組支配の防衛のために田代郁を民主党に送り込み、民主党・山岡賢次を「JR総連議員懇」の代表に祭り上げたが、その思惑は早々と頓挫している。

 反革命革マルを解体・絶滅することは日本革命=世界革命を領導する党派の階級的責務である。革労協は6・24反革命―同志石井虐殺報復37ヵ年決戦の猛攻でこの責務を完遂する。黒田なき黒田革マル残存中枢―「植田」・「前原」・「柳葉」・朝倉・土門らを総せん滅せよ! 投降路線で権力に恭順を誓う反革命「特行」どもを革命的テロルで打倒しつくせ! 凋落する学生革マル、帝国主義労働運動・「連合」に寄生することで延命をはかる残存産別革マルを総せん滅せよ! JR総連―松崎なき松崎革マルを総せん滅せよ! JR総連反革命労働運動を打倒せよ!