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東北関東大震災被災労働者人民支援大運動を

普天間基地ゲート封鎖―占拠闘争が爆発!
9・26―10・5連続闘争を闘いぬく〈沖縄〉(1035号1面)

  闘う沖縄労働者人民は、ついに普天間基地解体に向けた大きな一歩を闘いとった。大衆的実力決起を巻き起こし普天間基地の各ゲートを封鎖―占拠し、一時的ではあれ基地機能停止を強制したのである。天皇上陸阻止沖縄青年実行委員会と沖縄・首里日雇労働組合は、9・26―10・5連続闘争に全力で決起し、熾烈な現場攻防を闘いぬいた。

9・26―10・5連続闘争の経過

〈9月26日〉

 21日より岩国で試験飛行が強行され28日にも普天間基地への配備が報じられる中、早朝7時、普天間基地野嵩ゲート前において「県民大会実行委員会」主催の抗議集会が開催された。首長や議員らのほか300人が結集した。淡々と進む集会発言の間も、ゲート前では軍雇用ガードマンと対峙し、ゲート前道路に突入をはかったり、横断歩道に座り込んで米軍車両の出入りを止めようとしたりするメンバーもいる。

 8時には集会が終了し、その場は「平和市民連絡会」と「沖縄平和運動センター」に委ねられた。次第に警備が厳しくなり、横断歩道の往来さえ妨害してくる。米軍車両がゲートから出入りする際には、横断歩道上で何度も警察と衝突し排除されるなど終日緊迫した状況が続いた。

〈27日〉

 前日に続き、野嵩ゲート前での「実行委」主催の集会。「昨日午後5時頃、電話一本で『28日にも配備する』と通告を受けた」、「気象条件や整備の関係で遅れることはあっても、それはあなた方の言うことを聞き入れたわけではないと言外に示唆していた。許せない」と弾劾の声が上がる。参加した宜野湾市長・佐喜真は前日のゲート前攻防を念頭に「平和裡に行動してほしい」と発言したが、「そんなこと言ってる場合か」と反発を食らった。

 8時半頃、「平和運動センター」事務局長の指揮のもと、ゲート前を防衛する軍雇用ガードマン約20人の壁をぶち破ろうとデモを仕掛けた。簡易障害物を押し出すデモ隊の圧力に焦った宜野湾署は、軍雇用ガードマンを守るためゲート前道路に踏み込み、デモ隊を押し返す。その後、歩道上で「弾圧やめろ!」「オスプレイ来るな!」と実力デモを展開した。

 11時過ぎ、今度は参加者がいっせいに高さ1メートルほどの障害物を乗り越え、ゲート前封鎖の闘いにうって出た。警察のゴボウ抜きが開始された。何度排除されても再びゲート前になだれ込む。15分ほどの攻防で、ついにゲート前道路の片側の一角を占拠し、約40人が座り込み闘争に入る。集会では「本日の闘いは金字塔だ」と位置づけられた。この日午前6時20分頃、大山ゲートで有志40人がゲート前座り込みに決起したことも併せて報告された。

 午後6時頃、警備が緩まった段階で参加者は道路全体を封鎖、ガードマンは慌ててゲートを閉める。拍手喝采の中、ゲート前集会が開始された。その後24時間態勢の座り込みも提起されたが、ゲート前に車両を駐車し連絡員を配置することで次の日の闘いに備えることとなった。

〈28日〉

 早朝の「実行委」主催の野嵩ゲート前集会が終了した後、基地機能停止をめざす沖縄労働者人民は野嵩の封鎖を維持したまま大山ゲートへ移動した。普天間基地の主要なゲートは3つ(大山、野嵩、佐真下)あり、通常は大山と野嵩のゲートが開いている。闘うメンバーは次なる標的を大山ゲートに絞ったのである。

 9時半、参加者全体がゲート前になだれ込み座り込んだ。10時には増強した機動隊によって排除が始まった。周辺一帯で熾烈な闘いが展開された。そしてついに排除が不可能となった段階で米軍は自らゲートを閉じた。この瞬間、大きな拍手と「やったぞ!」という歓声が起こった。

 機動隊は片側のゲートを開けて通行を確保しようと、部隊を押し込もうとするが闘うメンバーは一歩も引くことなく道路中央線を譲らず、ゲートの開く可能性を完全に断ち切った。米軍は佐真下ゲートを開けて対処せざるをえなくなった。

 午後に入り台風の影響で風雨が強まる中、機動隊と対峙しつつ集会その他の取り組みを展開した。午後6時半、「台風が明けたらこの場に総結集すること」を全体で意思一致し、解散した。

〈29日・30日、大山ゲート〉

 「台風明けを待てない」。そう決意したメンバーは暴風雨の中、ゲート封鎖の準備を進めた。29日午後4時半、闘う沖縄労働者人民は大山ゲート前に4台の車両を乗りつける。仲間たちに結集が呼びかけられ、最終的には12台の車両で大山ゲートは封鎖された。同時に佐真下ゲートも封鎖され、ここに主要3ゲートの実力封鎖が完成したのである。

 警察は大山ゲートに通ずる道路に検問所を設置し、車両の出入りを制限する。レッカー車を準備するなど圧力をかけ続ける。基地封鎖をめざす沖縄労働者人民は、その場に24時間態勢で居座り、ゲート封鎖を堅持した。夜には宜野湾市役所近くの第4ゲート前で武装した米兵と実力対峙した。

 30日午前7時、約200人が続々と結集する。10時過ぎの集会で、全体状況が報告された。司会は「5ヵ所のゲートのうち4ヵ所を封鎖し、残り1つには監視員を配置している。われわれは5つのゲートを封鎖している。兵員は基地の外にいる。基地は死んだ状態だ」、「明日にもオスプレイが配備されようとしている。もし配備するなら、すべての基地のゲートを封鎖して出ていってもらおう」と訴えた。弁護士の三宅俊司氏は「ここは提供用地で国内法が及ばない。基地内なら刑特法があるが、ここはフェンスの外だ」、「警察による排除に根拠はない。逮捕できるならやってみろ」と闘いを鼓舞した。連日決起する反戦地主会の照屋秀伝氏の団結ガンバローで集会を閉じていった。

 沖縄労働者人民の闘いに圧倒された「県」警は、機動隊を大増員し排除の機会をうかがった。そして、12時40分過ぎ、盾をもった機動隊を現場に突入させた。闘う沖縄労働者人民は車両の中と外で座り込みの態勢に入った。あちこちで暴力的なゴボウ抜きが開始される。周辺一帯で熾烈な攻防が展開された。米軍は暴力的鎮圧をみすえブルドーザーまで準備した。

 最後の車両が移動させられた後、午後3時過ぎから総括集会が行われた。現場指揮を執った「沖縄平和運動センター」の山城氏は「300人から400人の機動隊が襲ってきた。普天間基地の解放まで気丈に闘う」と悔しさをにじませながら語り、「われわれをズタズタにすることを許さない。警察の蛮行を許さない」、「一人ひとりの立場で決起することが必要だ」と訴えた。「沖縄平和市民連絡会」の城間勝氏は「今日は闘いの転換点をつくった」、「絶対にあきらめない。オスプレイ配備を絶対に阻止し、各ゲートの仲間とともに機能停止に向けて最後までともに闘おう」と呼びかけた。

〈30日、野嵩ゲート〉

 大山ゲートの攻防に続いて、野嵩ゲート前も警察の介入が強まった。普天間基地爆音訴訟団のメンバーの指揮のもと、4台の車両をゲート前に乗りつけ、その隙間に座り込んで態勢を整える。「日の丸」を掲げた右翼ファシストがやってきて敵対を図るが徹底弾劾し粉砕した。

 7時過ぎ機動隊による排除が始まった。機動隊は闘う仲間の手足を掴んで機動隊バスと隊員で囲った国道沿いの収容場所まで運び、次々と放り込んで数時間にわたり監禁した。ここでも激しい攻防が続く。負傷者が続出し、救急車両に運び込まれる。闘う沖縄労働者人民の頑強な抵抗に「県」警は機動隊を増員せざるをえなくなった。ゲート前車両の上に立てこもったメンバーを排除するために、警察は鉄柵を使うまでしてゲート前道路を確保した。車上のメンバーへの差し入れも拒否した。排除攻撃が始まってから最後のメンバーが排除され車両が撤去されるまで、実に四時間以上の実力攻防が展開された。

〈10月1日〉

 朝5時半、大山ゲート前に集まった有志は、ゲート前攻防に決起した。横断幕やプラカードをもって米軍車両に嫌がらせを行ない、運転手はノロノロ運転で米軍の通行を大混乱に陥れた。大山での闘いは継続して行なうことが決められた。

 朝7時より野嵩ゲート前で「実行委」主催の抗議集会が開催された。米軍はゲート前道路への立ち入りを阻止するため、背丈ほどもあるコンクリート製障害物を配置した。警察は機動隊バスおよび装甲車2台をゲート内に配置した。淡々と発言が進む中、闘うメンバーからは「1、2時間座り込むだけなら来るな」という厳しい声も突きつけられた。

 首長や議員らは鉄柵前に座り込んだ。司会者より岩国基地のオスプレイが飛行準備に入り飛び立ったことなどが刻々と知らされる。横断歩道上では、米軍車両の出入りを阻止しようと闘いが続く。

 11時過ぎ、オスプレイ着陸が近づいたと報告され、全体で「配備を許さないぞ」、「沖縄の空を飛ぶな」、「米軍の強化を許さないぞ」、「撤回させるまで闘おう」とシュプレヒコールを行なった。

 司会者より「11時7分、一番機が着陸した」、「大謝名地区の民間地上空を旋回した。初日から約束を破った」、「11時47分、今日やってきたすべてのオスプレイが着陸した」との報告を受けると、悔しさと怒りが会場に満ちた。この日、六機のオスプレイが普天間基地に着陸した。

〈2日以降〉

 2日、7時より野嵩ゲート前で集会。「実行委」主催の集会はこの日が最後となった。
 オスプレイおよびすべての軍用機の飛行を邪魔するため狢揚げ隊瓩組織され、大山ゲートに近い森川公園で凧が揚げられる。この日以降、風向きに応じて各所で凧が揚げられた。12時過ぎ、3機が次々と着陸を強行する。野嵩ゲートからは墜落の危険性が最も高い「転換モード」で民間地上空を飛ぶオスプレイがはっきりと確認できた。

 3日、野嵩ゲート前の集会は「平和市民連絡会」、「沖縄平和運動センター」、普天間基地爆音訴訟団、嘉手納基地爆音訴訟団の四者で取り仕切ることとなり、集会や市民へのアピール行動、米軍への抗議行動が繰り返し行なわれた。負傷者への対処や今後の闘いで逮捕者が出ることを想定し、「オスプレイ阻止行動救援会」としてカンパも提起された。夕方6時過ぎには、労働組合が合流し米軍トップの四軍調整官のいるキャンプ瑞慶覧前に移動して抗議集会が開催された。

 4日、9時頃オスプレイが伊江島と高江に向かっていることが報告される。訓練が開始されたのである。11時40分には野嵩ゲートの真上を尾翼に赤いマークのある隊長機が飛行する姿が確認できた。

 5日、朝の集会では一坪反戦地主会関東ブロックのメンバーが「継続的に首相官邸や防衛省に抗議している」と報告し、午後の集会では同会の上原成信氏が「日本政府はいつあきらめるか待っている。あきらめないで闘おう」と訴えた。「沖縄平和運動センター」は、「県民大会」前から継続的に行なってきた金曜集会を引き継いで、毎週金曜を行動日と決め闘いを継続するとした。

 夕方6時より連続闘争の総括集会が開催される。300人が結集した。普天間爆音訴訟団の島田善次氏は「この程度の闘いで終わるならば日本政府は一過性の問題だと思ってさらに強力に押してくる。日本政府がめざしているのは辺野古の新基地建設だと思う。この闘いを継続していかなくてはならない」と訴えた。嘉手納爆音訴訟団は「F35ステルス戦闘機の嘉手納基地への配備の撤回を求めていく」と発言した。今後の持続的な闘い、粘り強い闘いが提起され集会は閉じられた。

実力闘争の地平を継承・拡大し闘おう

 基地機能停止から基地撤去をめざす沖縄労働者人民の闘いは、広範な大衆的実力決起としてゲート封鎖―占拠を実現した。ツイッターやフェイスブックなどを駆使して連絡を取り合った青年労働者や学生も多数結集し、実力攻防を大胆に闘いぬいた。この闘いは、文字通り沖縄反戦・反基地闘争の「転換点」として今後の闘いの展望を内外に指し示した。

 野田政府は、「日米安保の深化」のもと沖縄労働者人民の闘いを叩き潰すことに躍起となっている。ゲート前攻防の最中にも、高江では沖縄防衛局と業者が住民の闘いを踏みつけ、オスプレイの訓練場であるヘリパッド建設工事を強行している。住民は「オスプレイ配備を阻止するため、全沖縄の団結が求められている現在、これと相反する県の妥協的姿勢は、高江のみならず全県民の願いに背くものであり、また地域住民への弾圧と負担強要を黙認し、沖縄戦の惨禍を再び招きかねない」として連日の現場攻防を展開している。また、名護新基地建設に関して防衛相・森本は「政治的、経済的振興を含めたトータルな負担軽減で辺野古移設を進めたい」と言い放った。沖縄労働者人民の闘いに対し「金を出すから黙れ」と唾を吐きかけたのだ。新基地建設にかかわる「環境影響評価(アセスメント)」の「修正作業」については年内に終了することを表明しており、そのあとは知事への「公有水面埋立申請」の手続きが残るだけとなる。

 権力との激しい攻防の中で「闘う者」と「闘わない者」の区別もより鮮明となっている。郵政民営化・防災担当相に就任した下地幹郎はオスプレイ配備について「総理の決断を尊重する」と述べ賛成に転じた。日米安保を容認し自衛隊強化を推進する宜野湾市長・佐喜真は、ゲート前集会で「平和裡にやれ」と封鎖行動に制動をかける本音をさらけ出した。反革命革マルの学生部隊は、ゴボウ抜きされながら必死で抵抗するメンバーから「動かない」「何しに来たのか」と終始批判の的となった。「県民大会実行委員会」主催のわずか2日間の形ばかりのゲート前座り込みにも、厳しい批判の声がつきつけられた。

 闘いの現場に立ち続ける者のみが勝利への確信と団結の深化をつかみとり、展望をもって闘い続けることができる。われわれは、さらなる大衆的実力決起を巻き起こし、普天間基地解体・名護新基地建設阻止、高江ヘリパッド建設阻止を闘う。与那国への自衛隊配備を阻止する。