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東北関東大震災被災労働者人民支援大運動を

全国寄せ場で2012―2013年越年・越冬闘争を闘いぬく〈山谷、釜ヶ崎〉(1046号5面)

豪雨をはねかえし玉姫公園で越年・越冬闘争を貫徹
12・28―1・4 東京・山谷

越冬闘争準備の過程から連日、仲間らが奔走

 12月28日から1月4日までの8日間、東京・山谷日雇労働組合と山谷越年・越冬闘争実行委員会は、山谷・玉姫公園を実力占拠し、2012―2013年山谷越年・越冬闘争を闘いぬいた。

 12月に入ると東京・山日労の仲間たちが資金集めのための街頭カンパ活動を開始した。また全国の支援者からは衣類・米・食料品を中心に物資カンパが組合事務所に毎日届けられるようになった。

 建設中心の日雇い労働者の就労状態は厳しい状態が続いている。一部のゼネコンは「震災復興」や福島での「原発事故」周辺の「除染事業」で受注を伸ばしているが、こうした被災地や「原発事故汚染地帯」での現場では、賃金ピンハネ、労災事故が多発している。現場の劣悪な労働条件の下で多くの建設労働者がゼネコンの搾取と収奪の犠牲にあっているのだ。都市部で働く建設労働者にとってはこうした「復興特需」とは無縁で相変わらず不況の風にさらされアブレ地獄が容赦なく襲っている。東京・山谷では東京都が実施している「特別就労対策」の仕事が減らされ、2009年度から続いていた「緊急雇用対策」で出されていた仕事も2012年3月に廃止された。民間の仕事がほとんど皆無で唯一の就労機会となっている「特就」の仕事も減ったために困窮を極める日雇い労働者が増加した。こうした失業する日雇い労働者のため援護の業務を担当する城北労働・福祉センター(以下センター)は2011年度から生活保護受給や山谷地域に「居住」していないとの理由でこれまでセンターでの職業紹介などを受けていた仲間から利用者カードを取り上げるなどの暴挙を行なってきている。そのため、センターでの仕事・パン・宿泊援護を受けられず、山谷地区から遠のく労働者も出てきている。東京都の今季の越年・越冬対策の臨時宿泊でのセンター利用者を対象にした事前相談受付では、昨年度の宿泊定員500人分がさらに減らされ、310人にされてしまった。

 12月7日には、センターに対して「利用者カードを希望者全員に発行しろ」「センターの設備・運営を日雇い労働者のために改善しろ」「東京都による山谷越冬対策の縮小を許さないぞ」と要求し、山谷の仲間たちが交渉を闘いぬいている。交渉の中では参加した仲間の間から地下娯楽室の設備についての要求が積極的に出され、センター当局を果敢に追及した。

 12月15日、12月22日には、越年・越冬闘争実行委員会の会議を開き、越年・越冬闘争に向けて体制を整えた。

 12月27日の前日には、越冬闘争の拠点となる玉姫公園に資材や物資が運び込まれ、一部のテントについては設営班の仲間が立て込みの準備を進めていった。

 初日の12月28日には、早朝6時からセンター前に集合した越冬実の仲間たちが赤ハチマキをしめ、隊列を組んで「スーパー島田屋」前に移動して越冬闘争への合流を呼びかける情宣活動を開始。その後、山谷マンモス交番前でのシュプレヒコールをあげ、朝市でにぎわう玉姫公園から今年最後の仕事紹介となった玉姫職安前で越冬闘争への合流を仲間に呼びかけ、金町一家事務所に迫る金曜朝行動のワッショイデモを終え、再びセンター前に戻る。そして午前7時30分、越冬実の仲間たちが「ワッショイ」の声を上げてセンターから越冬闘争の会場となる玉姫公園に移動した。

 初日は曇り気味で太陽も顔を出さない寒い日となったが、朝の食事をすませると直ちに越年・越冬闘争の準備をさまざまな作業を分担しながら進めていく。金町一家、国家権力の越年・越冬破壊を許さないため公園の入口には防衛班の仲間が任務につく。また、手の空いている仲間はみんなでトラックに満載された道具や資材、食料、フトン、マキを公園内にリレーで運び入れる。設営班の仲間は前日の段取りに引き続いて大テントなどの寝床作りにとりかかった。炊事班の仲間は道具類の下洗いや点検を行ない、また炊事の作業台や食糧庫、道具置き場の組み立てに取り組む。公園内での準備の作業中にもトラックで物資を運んできた物資班の仲間が資材や食料・マキなどを次々と運び入れる。この日は、設営準備の途中から雨も降ってきて雨対策も平行してすすめるために予定時間を30分ほど遅れたが、夕食の炊き出しを午後6時30分に開始した。降りだした雨のために初日の炊き出し数は少なくなったが、夕食がすんで一段落した午後7時30分から越冬突入集会を開催する。「反戦・反失業を闘う釜ヶ崎労働者の会」、福岡・築港日雇労働組合、沖縄・首里日雇労働組合から、連帯メッセージが紹介された。釜ヶ崎の仲間は「12月26日、『釜ヶ崎越年・越冬闘争へむけた上映集会』の成功をかちとった。昨年亡くなった全国寄せ場交流会の代表・岡本暢夫さんの遺志を引き継ぎ、12月29日から1月3日まで『夜回り・人民パトロール』を闘いぬく! 野宿のなかまへの襲撃を絶対に許さず、なかまの命を守りぬく」。福日労の仲間は「俺たち福日労も、今月31日から1月2日までの3日間、福岡市内・明治公園を拠点に、越年・越冬闘争を闘いぬく。1月4日は、仕事はじめの市役所にデモでおしかける」。沖日労の仲間は「沖縄では12月31日から1月2日にかけて炊きだしや生活相談を行ないます。12月23日には、普天間基地へデモでおしかける大行動に沖縄内外から3000人が結集しました。沖日労も結集し闘いぬきました」。山日労が越冬闘争の基調を読みあげる。「今日から突入した越年・越冬闘争で仲間の団結をうちかため、1月4日にはみんなで東京都と厚生労働省へのりこもう」。これを仲間たちの拍手で確認すると、「団結ガンバロー」で越年・越冬闘争をやりぬく決意を固めていった。突入集会の後は、娯楽映画の上映を行ない、初日の作業でがんばった仲間たちはくつろいだ夜を過ごした。

 午後9時、人パト班が山谷地区の夜回りに出発する。人パトでは12月28日から1月3日まで浅草地区、山谷地区を回り、ビラ・パン・オニギリ・果物・使い捨てカイロを野宿する仲間たちに配った。

12月29日、「なぎさ寮」受付会場で玉姫越冬への合流を呼びかける

 12月29日午前8時30分、東京・山日労と越冬実は、東京都の山谷越年・越冬対策「なぎさ寮」入寮受付会場の台東リバーサイドスポーツセンターで、入寮希望の労働者に越冬実の「黙って野垂れ死ぬな」のビラを配り、「1月2日の『なぎさ寮』でのモチツキで再会しよう。4日には玉姫公園に戻ってきていっしょに都庁・厚生労働省追及―弾劾行動に起ち上がろう」と訴えた。東京都は事前には「9時30分受付開始」と告知していたが九時を回ると早々と受付を開始し、5分も過ぎると行列していた仲間たち全員が受付会場内に移動した。このために当日受付に遅れてリバーサイドに到着したした仲間では「なぎさ寮」に宿泊できず断念した仲間も多数出ているのだ。

 12月29日の夜の企画「労働運動の現場から」では、元国鉄労働者で、全国労働組合運動交流会の呼びかけ人である佐久間忠夫氏が「用事で顔を出せないが、みなさんの越冬闘争の成功を祈っている」と激励のメッセージを寄せた。またユニオン出版ネットワーク(出版ネッツ)に加盟する仲間が、労働相談から取り組んだ争議解決の報告などを行なった。この出版ネッツの仲間は、炊事などの作業も担った。多くの食材を提供した生協で働く労働者も連帯あいさつを行なった。連帯あいさつの後、アメリカ・ニューヨークでの「ウォール街を占拠せよ」のニュース映像が上映され、韓進重工業の籠城闘争を闘ったキム・ジンスク氏の闘いを描いたドキュメント「希望のバス」が上映された。

 12月30日は、夕方から土砂降りの雨が再び襲う中、仲間たちの必死の努力で雨よけのシートかけ、雨対策で追われた。夜になっても雨はいっそう激しくテント小屋の屋根をたたきつける中、排水の作業でみんなずぶぬれになりながらがんばった。この日の夜の企画は急遽中止し、浸水してだめになった布団・毛布などの入れ替え作業などで就寝の準備を整えていった。

2013年新年総決起集会がかちとられる

 2012年の大晦日を迎えた玉姫公園では、31日の夜の企画で、「東京大衆歌謡楽団」がナツメロの歌と演奏を披露した。この演奏ではハモニカバンドで長年、山谷の労働者を楽しませてきたバンドリーダーの死を悼んで元バンドメンバーの仲間が「東京大衆歌謡楽団」とのジョイント演奏を披露した。生演奏を楽しんだ後、カラオケ好きの仲間がみんなに自慢ののどを披露する。

 1月1日午前11時からは、玉姫公園内で団結モチつきを開催した。「ヨイショ、ヨイショ」のかけ声を受けて、5ウス分のモチをつきあげた。夜は2013年の最初の総決起集会だ。午後7時、越冬実本部が「2012年も『反戦・仕事よこせ』を闘うぞ!1・4都庁行動、厚生労働省団交を闘い、1・13日雇い労働者全国総決起集会とデモを闘うぞ!」と呼びかけた。越冬実に結集する東京都地域連合労働組合、神奈川県地域連合労働組合が新年の決意を明らかにした。そして、明治大学社会思想研究会の仲間からのアピールが紹介・代読された。越冬実各班の元気な発言が続く。このあと集会参加者全員に酒やジュースが配られ、乾杯して越年・越冬闘争後半にむけた決意をうち固めていく。集会の後半は「原発労働」の問題を告発したビデオドキュメントを上映していった。

 1月2日には、「なぎさ寮」に入寮している山谷の仲間との交流を深めるための団結モチつきにでかけていった。午前10時、庭に出てきた山谷の仲間が元気よく杵を手にしてモチをつき始める。3ウス分のモチがつきあげられ、また少しだけだが酒も振舞われた。1月4日には玉姫公園に合流し、ともに都庁と厚生労働省への行動に起ち上がることを確認していった。1月2日の夜の企画では、「山谷(やま)―やられたら、やりかえせ」の上映を行なった。今年の越年・越冬闘争には山谷にはじめてきた仲間も多い。金町一家との熾烈な攻防を通して前進してきた山谷労働者の闘いの歴史を学び、そして「1・13佐藤さん虐殺28ヵ年 山岡さん虐殺27ヵ年弾劾! 金町一家解体! 日雇い労働者全国総決起集会」への決意をうち固めていった。

総括集会で東京都庁・厚生労働省弾劾―追及の決意をうちかためる

 1月3日の午前中には、年末・年始を東京拘置所ですごす獄中の仲間への激励行動が取り組まれた。この行動では、獄中経験のある山谷の仲間が中心になり、マイクを握って獄中者への励ましを行なった。

 午後7時からは、山谷越年・越冬闘争をしめくくる総括集会がかちとられた。東京・山日労は「設営を含めみんなが苦労を分かち合い越年・越冬闘争が実現した。仲間の命は仲間の団結で守りぬく。うち鍛えられた団結を武器にして明日の行動、そして1・13日雇い労働者全国総決起集会を闘いぬいてこう」と提起した。越冬実を担った炊事班・設営班・防衛班・人パト班が発言し、最後に「団結ガンバロー」で総括集会をしめくくった。その後、「反戦闘争」をテーマに沖縄・名護市辺野古や東村・高江のヘリパッド建設阻止闘争の記録ビデオなどを上映。また、昨年9月〜10月沖縄現地に駆けつけて普天間基地封鎖の闘いを担った仲間がスライドショーを背景にその闘争報告を行なった。

1月4日、東京都と厚生労働省に対する追及―弾劾行動に決起

 仕事始めとなる1月4日、赤ハチマキをしめ組合旗とムシロ旗を掲げた東京・山日労と越冬実が都庁にむけて「ワッショイ!ワッショイ!」のかけ声を響かせながら力強く玉姫公園から進撃する。都庁前では福祉保健局生活部副参事山谷対策担当の木原ら、山谷対策係の役人どもが制服警官、ガードマンに守られながら待ち構えている。

 東京・山日労と越冬実は都に対して、3点について抗議文を突きつけた。‥豕都は失業に苦しむ全ての日雇い労働者が利用できるよう城北労働・福祉センターを指導しろ東京都は「特別就労対策事業」「緊急雇用対策」の仕事を増やせE豕都は、公園や河川敷などから野宿労働者の追い出しをやめろ。課長・木原を「見解を明らかにしろ」と仲間たちが追及すると、課長・木原は「みなさんの要望は承りました。産業労働局にも伝えます」とだけしか答えようとしない。30分にわたる追及と弾劾の闘いを都庁前で展開した後、仲間たちは厚生労働省との団交に向かった。

 10時45分に厚生労働省正門に陣取った東京・山日労と越冬実は、用意した「黙って野垂れ死ぬな」のビラをまき始める。11時になると全員が厚生労働省との団交に臨んだ。団交のテーマとなったのは以下の4点だ。々颪寮嫻い如⊆唆伴圓忙纏を◆嶇働者派遣法改悪」をやめ、「労働者派遣法」を撤廃しろ7設業ではびこる社会保険未加入問題を解決しろぬ砧祖祿杤蒜饅蠅覆匹悗亮容政策を改め居宅保護の原則を。厚生労働省の役人どもは地域雇用対策で実施している政策の上面を説明するだけで「日雇い労働者も利用できる」との説明に終始するばかりで日雇い労働者の実情や特性に応じた雇用対策の必要性について仲間たちが何度も追及しても、まともな回答も用意していない。1時間半にわたる交渉を闘いぬいた仲間たちは、再び正門前に整列してシュプレヒコールをあげ、厚生労働省に対する追及―弾劾行動を終えていった。

 今季の越年・越冬闘争の炊き出しは計14回、食数にしておよそ1500食であった。昨年より約600食減った。生活保護受給者の数が増加し、山谷のドヤが他区の生活保護受給者の宿泊施設の受け皿になっていて、根っからの山谷労働者が山谷地区に泊まれなくなってきている。玉姫公園での越年・越冬闘争を知らない層が増えてきているのだ。「なぎさ寮」の入寮者も200人を下回った。センターによる「利用者カード」取り上げによって、センターに登録する労働者が激減している。このため都の山谷越冬対策事業=「なぎさ寮」臨時宿泊からも締め出される失業する日雇い労働者がでている。年末・年始には浅草地区が観光客でゴッタがえして眠れない。このため普段、夜を浅草で寝泊りしている野宿の仲間たちは、この期間、浅草や山谷地区を離れ、孤立と分散化を余儀なくされている。東京都、センターによる日雇い労働者・野宿労働者の切り捨てを絶対に許してはならない。

 今季は越冬実に結集する仲間たちも減ったが、みんなの力を結集し「黙って野垂れ死ぬな! 生きてやり返せ」を合言葉に2度に渡る豪雨の悪天候をはね返し越年・越冬闘争をやりぬいた。山谷・玉姫公園での越年・越冬闘争に対して、物資・資金カンパを寄せる労働者人民は増加した。玉姫公園に直接、差入れに足を運んだ労働者人民も増えた。

 そして、山谷の労働者や野宿労働者全員が国家権力・金町一家による破壊策動を許さないために、睡眠時間を削り、夜の不寝番や深夜の防衛活動を含め24時間の防衛体制を担いぬいた。機動隊が包囲するなか、連日のワッショイデモに決起して、機動隊の壁にぶち当たり、闘志あふれる闘いを貫徹した。

 2013年には、朝鮮反革命戦争とファシズムへの突撃がいっそう加速しようとしている。越年・越冬闘争で鍛えた日雇い労働者、野宿労働者、また「非正規雇用」労働者同士の団結を打ち鍛え、「反戦・仕事よこせ」の闘いの爆発をかちとっていこう。


12・26「越年・越冬闘争へむけた上映集会」、12・29―1・3「夜回り・人民パトロール」を闘いぬく! 大阪・釜ヶ崎

 釜ヶ崎では、「反戦・反失業を闘う釜ヶ崎労働者の会」が12月26日に西成市民館で「越年・越冬闘争へむけた上映集会」を開催した。そして、12月29日から1月3日までの「夜回り・人民パトロール」を貫徹した。

 「越年・越冬闘争へむけた上映集会」には、多くの日雇い・野宿労働者をはじめ約60人が結集した。はじめに、集会の基調が提起された。基調では、「釜ヶ崎労働者の会」は越年・越冬闘争として、12月29日から1月3日までカイロ、おにぎり、防寒着、タオル、ビラなどを持って「夜回り・人民パトロール」を闘うこと、定期的に駅頭でカンパ活動を行ない、資金をはじめ、衣類・物資のカンパも呼びかけていることが紹介された。そして、政府によるアブレ(失業)地獄―野垂れ死に攻撃が暴露され、大阪府や大阪市に対して「仕事出し」を要求する行政闘争を闘ってきたことが明らかにされた。さらに、パナソニック、ヤンマーなど、「非正規雇用」労働者の争議に連帯し、集会、デモなどを共に闘ってきたこと、「日の丸」「君が代」の強制―処分攻撃と闘う教育労働者と連帯する闘いに決起してきたこと、狭山差別裁判糾弾闘争に決起してきたこと、安保粉砕闘争をはじめ反戦闘争を取り組んできたことが紹介された。基調提起の最後に、越年・越冬闘争のスローガンが提起され、参加者全体の「ヨシ!」の声で確認されていった。

 次に、東京・山谷日雇労働組合、福岡・築港日雇労働組合、沖縄・首里日雇労働組合からの連帯メッセージが読みあげられ、参加者から大きな拍手が送られた。

 そして、いよいよ映画の上映だ。1本目の上映作品は、山谷の労働者が天皇主義右翼ファシスト・国粋会金町一家と体を張って闘う攻防などを描いた映画=「山谷(やま)―やられたらやりかえせ」だ。参加者は、熱心に見入っていた。 続いて、埼玉県川口市の鋳物の街を舞台にした作品「キューポラのある街」が上映され、50年前の当時の時代背景が映し出された。映画を通じて、労働組合は労働者の生活や権利を守る必要不可欠のものだということがあらためて確認された。

 最後に、行政が閉まる年末・年始の釜ヶ崎周辺での「夜回り・人民パトロール」への結集―仲間の命を守る行動への参加が呼びかけられた。一昨年七月に亡くなった岡本暢夫氏は、2010―2011年の越年・越冬闘争では、病気のために歩行が困難となっていたにもかかわらず、おにぎりやカイロを野宿している仲間に手渡し、力づけていたことが報告された。最後の最後まで日雇い・野宿の仲間への思いやりをおしまず、寄せ場労働運動への情熱を燃やし続けた岡本暢夫氏の生き様に学び、遺志を引き継いで、越年・越冬闘争を闘おうと提起された。越年・越冬闘争の勝利へむけて、「一人の野垂れ死にも許すな!」「生きてやつらにやり返そう!」「野宿のなかまへの襲撃を絶対に許さんぞ!」「団結してガンバロー!」と熱気の中で集会は終了していった。

 大阪市は今年も南港臨時宿泊所を設置したが、この厳しい失業状況の中、今年も入所資格を「あいりん地域に居住する、(原則として)40歳以上の単身日雇労働者」という入所制限を行なった。入所受付については、2010年は12月29日と30日の2回だったのが、2011年から事前登録が必要となり、12月29日の1回のみになった。入所者数は、四年前は1324人、3年前は637人、2年前は567人、前回は493人、今回は433人(これにケアーセンターの80人が加わる)となった。

 12月29日から、人パトが開始された。人パト隊は、ビラ、カイロ、おにぎり、タオル、防寒着、毛布、風邪薬などを持って回っていく。まず、センターの周辺で野宿している労働者のもとを、一人一人回る。ダンボールや布団を用意して野宿している労働者もいれば、何の用意も無く体ひとつで寝ている労働者もいる。カイロやおにぎりを渡すと「ありがとう」という声が返ってくる。センターを一周しただけで、100人以上が寝ている。続いて、人パト隊は、南海電車のガード下、萩ノ茶屋や山王商店街のアーケード、恵美須町駅周辺、日本橋電気街など、釜ヶ崎周辺を回っていった。釜ヶ崎では、近年、多くの日雇い・野宿労働者が生活保護を受給するようになった。だがしかし、人パトを通してわかったことは、前回とほとんど同じの数の労働者が釜ヶ崎周辺で野宿を強いられているという事実だ。人パト隊は、「アブレ地獄―野垂れ死に攻撃を粉砕しよう!」「一人の野垂れ死にも許さず、生きてやつらにやり返そう!」「野宿の仲間への襲撃を絶対に許さず、仲間の命を守りぬこう!」と闘いへの結集を呼びかけていった。このようにして、6日間にわたって「一人の野垂れ死にも許さない」越年・越冬闘争の「夜回り・人民パトロール」が貫徹された。