解放トップ
トップに戻る
解放最新号
バックナンバー
論文
定期購読

東北関東大震災被災労働者人民支援大運動を

2・16鈴木国男氏虐殺37ヵ年糾弾集会がかちとられる
 〈大阪・釜ヶ崎〉
(1050号5面)

 2月16日、「反戦・反失業を闘う釜ヶ崎労働者の会」は、鈴木国男氏虐殺37ヵ年糾弾集会を釜ヶ崎の西成市民館で開催し、成功をかちとった。

 午後0時30分、「釜ヶ崎労働者の会」の仲間が、「1976年2月16日、『暴力手配師追放釜ヶ崎共闘会議(釜共闘)』で闘い、全国『精神病』者集団で闘いぬいていた鈴木国男氏が、大阪拘置所で保護房に叩き込まれ体温を下げる注射を打たれ虐殺された。虐殺への怒りを忘れず、37ヵ年糾弾を闘おう!」と、開会を宣言する。

 はじめに、大阪で闘う「障害者」の仲間からの連帯あいさつだ。「国家権力のデカパンへの虐殺を絶対に許さない。37年たった現在でも、今の『障害者』を取り巻く現状はあまり変わっていない。2007年に『心身喪失者等医療観察法』が強行成立した。『病者』『障害者』への隔離・収容政策がものすごくやられている。労働者と『障害者』とが共に闘っていくという姿勢がなければならない。釜ヶ崎の皆さんとともに闘っていきたい」と訴えた。

 集会基調が提起される。「デカパンが寄せ場労働者として、また『精神病者』として、釜ヶ崎で闘った歴史や、闘いの渦中で国家権力により大阪拘置所で殺されたという事実は、単なる『歴史』ではなく、私たちの闘いの中味の問題、団結の中味の問題として、今も私たちに問われています」「1976年の冬、デカパンは『傷害』で逮捕され、大阪拘置所に勾留されました。彼は『精神病』の最中にあり、着衣を脱ぎ捨てているにもかかわらず、暖房もなく換気扇で外の寒気にさらされる中で放置されたのみならず、体温を低下させる薬を注射され、凍死しました」「デカパン虐殺37ヵ年にあたって、私たちは次のことを確認し、これからの釜ヶ崎の闘いの基調としていきたいと思います」。「.妊パンの虐殺は、国家権力の暴力装置である監獄内での虐殺であり、寄せ場労働者解放・『精神病者』解放の戦士であったデカパンに対する、徹底した『精神病者』差別による目的意識的虐殺であった」「▲妊パンの虐殺は『過去の問題』ではない。なぜなら、政府―国家権力は寄せ場労働者に対して失業(アブレ)―野垂れ死に攻撃を強めており、闘う労働者には弾圧を強めている。また、『心神喪失者等医療観察法』を強行し、許すまじき差別と偏見で『再犯の可能性』をブチあげ、『精神病者』を保安処分施設に隔離し、『電気ショック療法』などを強制して『精神病者』差別―抹殺攻撃を強めている。さらなる刑法の改悪をもくろみ、保安処分の対象を拡大しようとしている」「E時、寄せ場労働運動内部でデカパンを孤立させ排除・追放するなかで彼の『病状』を悪化させ、国家権力の差別による虐殺を許してしまった。それは、寄せ場労働運動内部で『精神病者』に対する差別があったからであり、寄せ場労働者の闘い、『精神病者』解放の闘いを強化する上で、デカパン虐殺糾弾の闘いがぜひとも必要である」。集会基調は圧倒的な拍手で確認された。

 基調提起の次に、映画「人間を取り戻せ! ―大久保製壜闘争の記録」が上映された。当時、大久保製壜は、「身体障害者」や「知的障害者」を半数以上雇い入れ、国や行政から何度も表彰される「福祉モデル工場」であった。ところが実際は、「障害者」に対する言葉による暴力や殴る蹴るの暴行などが横行し、「健常者」の社員と同じ作業にも関わらず給料もボーナスも非常に少なく、20日間連続夜勤などもあたりまえであった。1975年、当事者たちは怒りを爆発させ闘いに起ちあがった。「障害者」と「健常者」は固く団結し労働組合を結成。分断攻撃を粉砕し、困難を乗り越えて闘い勝利していった。参加した労働者は、迫力のある闘いに熱心に見入っていた。上映後、参加者から「当事者みんなで押しかけて、団結して頑張るんや。そうすれば、他の人らも応援してくれる」「団結して闘うこと、一人一人の声を大事にして闘いを作り上げていくことが大事だと思う」「映像の中で、組合に入った人たちが、『(闘っているのを見て)うらやましく思っていた』と言っている。しんどいんだけど、自分で決めていくから楽しいんだ、と思った」などの発言があがった。

 最後に、「『障害者』差別と闘おう!」「寄せ場春闘の勝利をかちとろう!」「団結ガンバロー!」のシュプレヒコールで集会を締めくくっていった。