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東北関東大震災被災労働者人民支援大運動を

6・24同志石井虐殺報復38ヵ年決戦―2・11同志中原虐殺報復36ヵ年決戦に決起し反革命革マルを解体・絶滅せよ
(1062号4面)

 「革マル結成50年」の汚辱にまみれた反革命史に革マル解体・絶滅戦の輝ける40年史を対置し、反革命革マルを解体・絶滅せよ

 世界大恐慌爆発情勢下、朝鮮反革命戦争とファシズムの危機が一段と深まる中で、黒田革マルは労働運動や反原発闘争において労働者人民が実力決起する闘いに敵対を強めている。民主党主導の政府が崩壊して自民党主導の安倍極右政府が成立するや否や、革マルは従来からの「ネオ・ファシズム支配」を更新し、「極反動攻撃を打ち砕く」「反ファシズム統一戦線」の形成を呼びかけた。この「呼びかけ」は、朝鮮反革命戦争とファシズムの危機下、プロレタリア暴力革命の台頭を恐れてブルジョア社会を防衛せんとする革マルの立場をあらわにしたものである。

 その一方で革マルは、「尖閣諸島(中国名=釣魚列島)問題」をネタにして「中国の軍事的脅威」を煽り、反中国―反共・排外主義煽動の先陣をきっている。まさに日帝ブルジョア支配の危機に際して、これを「左」から補完する翼賛勢力として再編されようとしているのだ。今こそ、黒田革マルの組織延命を断ちきる解体・絶滅戦の巨弾を戦取せよ!

 2月の「革マル結成50年政治集会」で議長・「植田」ら残存指導部どもは、革マルの反革命史を総括し、一つに「武装蜂起妄(ママ)想主義や街頭武装闘争の誤謬との闘い」、二つに「謀略殺人襲撃との闘い」の「意義」をあげた。労働者人民が武装し暴力的に階級闘争を闘うのを恐れ、その闘いの推進力である革命党派を襲撃し破壊することをその「存在目的」としてきた反革命党派であることを改めて自認したのである。「首根っこ急所論」で「権力を利用」するなど、革命党派を破壊するためには権力に頼るという反革命としての脆弱性と、黒田イデオロギー注入で宗教的「組織づくり」だけに執着する徹底性を警戒しなければならない。この反革命革マルの「50年」に対して革命的党派闘争の歴史と地平を対置し革マルを解体・絶滅せよ。

 反革命革マルによる6・24反革命―同志石井虐殺(同志大量虐殺未遂)から38ヵ年をむかえ、改めて革マル解体・絶滅戦の革命的地平を継承する意義を確認しなければならない。1973年9・14〜15神大夜襲に対する迎撃戦から数えても40年に及ぶ革マル解体・絶滅戦の革命的意義を確認する。

 革マルは、1963年の革共同第三次分裂をへて「反スタ」=反共路線を純化させ、1960年代後半に教育・学園闘争の高揚に対する敵対を開始した。そして70年安保―沖縄決戦の高揚に対して、「武装蜂起主義反対」「他党派解体」をかかげて革命的党派に対する武装敵対を本格化した。 「他党派解体路線」の帰結として、1972年に早大生川口君虐殺事件を引き起こす。これを弾劾する早大生の決起と解放派を牽引力とする早稲田解放闘争の武装進撃が開始された。この闘いに追いつめられた革マルは、1973年9・14―15空母ミッドウェイ横須賀母港化阻止闘争に備えて全学連が泊り込む拠点・神大に夜襲をかけた。全学連部隊は250人の襲撃部隊を果敢に迎え撃ち、この過程で反革命「特行」の金築・清水が完全打倒され、革マルの夜襲にかけた目論見が粉砕された。われわれは、革マルの夜襲を見逃し解放派に集中したその後の報復弾圧―大量逮捕・指名手配攻撃をしかけた日帝国家権力と徹底対決し、非公然組織体制を構築しながら対革マル戦を推進していった。

 せん滅戦の攻勢に追いつめられた革マルは、1974年4・30反革命襲撃、さらに1975年6・24反革命―同志石井虐殺(同志大量虐殺未遂)に手を染める。われわれは、この許すべからざる同志虐殺には数十倍の革命的報復を誓い、1975年10・8秋本打倒、10・27梅田打倒戦闘が戦取され、革命的テロルを行使して死闘戦を闘いぬく革命的地平を打ち立てた。

 革命的テロルによるせん滅戦の攻勢が開始されるや、革マルは、党派闘争敗北の紋章である「謀略論」に逃げ込んだ。これは、攻勢的なせん滅戦が、「権力の利用論」で補完される反革命党派闘争の破産を強制したものである。

 その後、死闘戦の攻勢に追いつめられた革マルは、1977年2・11解放派の指導的同志中原虐殺に手を染めた。この極悪な反革命虐殺に対して怒りを倍化させた革命軍は、ただちに4・15藤原(実質上の書記長で黒田の後継候補)ら4人一挙打倒戦闘で回答し、対革マル戦の金字塔をうち立てた。これ以降も、敗走する革マルをせん滅戦で追いつめ、この攻防過程で、党派闘争における革命と反革命の分岐を鮮明にし革マル=反革命規定を確立した。

 せん滅戦攻防からの敗走を続けた反革命「特行」どもは、1997年に「神戸謀略運動」に動員されてボロボロになり、連続する「地下アジト」の摘発、指名手配―出頭・逮捕―ゲロ・屈服の続出によって、壊滅状態となった。

 産別戦闘の開始と動労―JR総連を戦場にしたせん滅戦は、革マルの組織内部矛盾を拡大させた。1980年代の初めに、産別革マルは労働運動の帝国主義的再編に屈服し、「冬の時代の労働運動」基調のもとで「労働組合運動主義」へと純化していき、総評解散の後、「連合」へのもぐりこみを路線化した。動労―JR総連革マルは、国鉄分割・民営化攻撃の反革命尖兵として、「労使結託路線」で国鉄労働運動の破壊に突撃する。その帰結として、1980年代末から1990年代初めにかけて「労働組合運動主義」の台頭に対してこれを鎮圧する「反スタなき賃プロ魂注入主義」が組織に蔓延し中枢対立が激化するが、黒田がのりだして「賃プロ主義」は制圧された。それ以降、「沖縄革マル問題」を経て、松崎の指導のもとで「労働組合運動主義」を徹底してJR総連―東労組支配を延命させようとしたJR総連革マルと革マル中央との対立が激化し、2000年〜2001年、JR総連・松崎革マルが離反・分裂した。

 反革命革マルは今日になっても、対革マル戦―革命的党派闘争が学生戦線から労戦へと拡大し、国鉄分割・民営化攻撃の尖兵となった動労―JR総連革マルに対するせん滅戦として発展した革命的党派闘争の歴史的地平を否定しようと躍起になっている。「謀略論」の立場から「歴史の偽造」だと言い逃れようとしている。しかし、黒田―松崎の指導ラインで国鉄分割・民営化に反革命突撃したのは明々白々である。反共組合・鉄労、国鉄当局あるいはJR資本と結託して国鉄労働運動解体の尖兵となって突撃した反革命史は国鉄闘争を闘った労働者人民の脳裏に刻みこまれている。革マル解体・絶滅戦は、学生戦線からはじまり国鉄分割・民営化に突撃する動労革マルと労戦革マルを打倒する革命と反革命が激突する闘いとして発展していった。革マルは、この革命的党派闘争が切り拓いた地平のつきつけと批判から逃げ回っているのである。

 JR総連・松崎革マルの離反・分裂は、革マル解体・絶滅戦―革命的党派闘争の歴史的闘いが革マル組織の矛盾を拡大させ強制した成果である。1996年に、一連の組織問題の責任をとる形で議長・黒田が辞任し、2006年、組織分裂と党派闘争の絶望的な敗走過程で教祖・黒田は悶死し、2010年12月、JR総連・松崎革マルの頭目・松崎が頓死した。黒田革マルもJR総連・松崎革マルも崇拝する頭目を無くし組織内矛盾を深めている。

 今こそ、黒田革マル反革命中枢―「植田」、「前原」、「柳葉」、西條、朝倉、土門らと残存する反革命「特行」を革命的テロルで打倒せよ! 残存する産別革マル、闘争から逃げ回る脆弱学生革マルを総せん滅せよ! JR総連・松崎革マルを総せん滅し、JR総連反革命労働運動を打倒せよ!

〈米―中対決〉のもと日帝の朝鮮反革命戦争参戦を否定する革マルの東アジア分析

 革マルは、〈米―中対決〉に当てはめた世界分析で、東アジアで切迫する朝鮮反革命戦争突入情勢を否定し続けている。大国化する「中国の軍事的脅威」を煽動し、一切を〈米―中対決〉に集約して朝鮮反革命戦争突入情勢を否定しようとしているのだ。

 東アジアでは「米日両帝国主義権力者と…中国が激しく軍事激突」、朝鮮半島では「核保有国・北朝鮮と北朝鮮を軍事的に抑えこむための軍事態勢を強化する米・韓両国との一触即発の危機」(「反革命通信」2264号、4月15日付「SOB」文)とした。

 革マルは、日・米・韓による制裁と軍事的包囲に追いつめられ、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が米帝を交渉に引きずり込む方策として「ロケット発射」や核実験にふみこんだときにだけ、反北朝鮮―反共・排外主義を煽動するために朝鮮情勢にふれるにすぎない。「SOB」文は「軍事態勢を強化する米・韓」とし、日・米・韓が軍事演習をくり返し朝鮮反革命戦争突撃態勢を形成している現実から日帝を外した。これはミスや偶然ではない。朝鮮反革命戦争が切迫する情勢で日本労働者人民の関心を朝鮮情勢から切り離し、日朝労働者人民が武装せる国際連帯の闘いに起ち上がるのを阻止したい、という革マルの本音が表出したものである。

 これと対照的に「尖閣諸島(中国名=釣魚列島)領有問題」では、「中国の軍事的脅威」が強まり「日・米両国家と中国との政治的軍事的角逐」が激化と分析している。「尖閣問題」で日帝の反中国―反共・排外主義煽動が強まるなかで、革マルは、「日・中相互の排外主義と闘え」と叫んでいる。その中身は、中国労働者人民に対しては「中国政府の尖閣領有策動と闘え」「中国政府の反日排外主義と闘え」とくり返し叫ぶが、日帝が「尖閣諸島」領有をめぐって日本労働者人民に仕掛けている反中国―反共・排外主義煽動と闘う方針は皆無である。その上で、中国政府による狠羚駭働者人民への反日教育をとおした反日排外主義と闘え瓩閥び、さらに「(中国・韓国の)労働者人民の内に根深い猗親甦蕎陝廚あるから「反日排外主義」煽動が強まると断定している。許しがたい事に、中国と韓国の労働者人民が「根深い反日感情」をもっているから「反日排外主義」が強まるんだと中国と韓国労働者人民を断罪しているのである。これは日帝が朝鮮・中国、アジア侵略戦争と植民地支配の過程で手を染めた虐殺・抑圧、蹂躙―日本軍「従軍慰安婦」強制などの「戦争犯罪」に対する中朝労働者人民の怒りと謝罪・「賠償」要求を、日帝支配階級がかわそうとして出した「村山談話」や「河野談話」で「決着済み」とする立場である。この立場から中朝労働者人民に「説教」しているのであり許しがたい暴言である。日共「批判」(「反革命通信」2月4日付2254号1面)で、「集団的自衛権の行使」の問題を「尖閣問題」に引き寄せて日共「批判」しようとして墓穴を掘った。そこで「尖閣は日本領」に固執し、何よりも自衛隊と米軍は共同して「中国の軍事的脅威」から「尖閣」と日本を守れ、を核心にして「集団的自衛権の行使」を論じようとしたからである。日帝は朝鮮反革命戦争突入を見据えて、「周辺事態」で米軍と共同展開(後方支援)し、また中東など国際反革命戦争に参戦して米軍と共同展開するべく「集団的自衛権の行使」にふみきろうと画策している。これと区別されて「尖閣問題」で想定される武力攻撃に対しては、「日米安保条約」第五条の「日本国の施政の下にある領域におけるいずれか一方に対する武力攻撃」に対処するものとして日帝が「個別的自衛権」を発動し、それに米軍が共同対処するとする。「新ガイドライン」策定は、朝鮮反革命戦争突入情勢のもとで、「尖閣問題」での武力衝突をも想定した自衛隊と米軍の共同展開方針を策定しようとするものだ。革マルは、「尖閣問題」では、あれこれ理論的に粉飾しているが、まずもって「尖閣諸島は日本領土」だとする革マルの認識がある。そこから「尖閣」に対する「日本の実効支配を脅かす大国化した中国の軍事的脅威」があり、軍事的攻撃や「尖閣上陸」が切迫していると危機を煽っているのである。この主張から導かれる結論は、「尖閣問題」を解決するために自衛隊と米軍が共同展開して「中国の軍事的脅威」と闘え、となるほかない。東北・関東大震災で自衛隊と在日米軍の災害出動を強化しろとエールを送った革マルが、「尖閣」をめぐる「中国の脅威」に自衛隊と米軍が共同展開して守れとなるのは当然なことである。革マルは、「尖閣問題」で、「中国の尖閣領有化反対」とならべて「日米安保の強化反対」を一応は掲げてはいる。しかし、革マルの本音は犲衛隊と米軍が結束して「中国の軍事的脅威」に対決しろ瓩箸いΔ海箸任△襦

「反ファシズム統一戦線」を呼びかけてブルジョア社会と革マル組織の防衛を企む革マル

 革マルは、安倍政府成立=「ネオ・ファシズム支配体制」とし「反ファシズム統一戦線」の結成を呼びかけた。しかし、1980年に自民党が総選挙に大勝して成立したとされるこの「支配体制」は、その後、自―公連合政府が倒れ民主党主導の政府が成立してもずっと存続し続けたとされ、今回の「ネオ・ファシズム支配体制」との区別は展開されていない。革マルの見解としては1980年から「ネオ・ファシズム支配」が続いていることになる。この「ネオ・ファシズム支配」なるデタラメなファシズム規定と「反ファシズム統一戦線」の提起は、徹頭徹尾、革マル組織を防衛するためにだけ捏造された恣意的な規定なのである。

 1980年の革マル「ネオ・ファシズム支配」規定は、何よりもわが革マル解体・絶滅戦の攻勢が革マルに敗走を強制し続けた結果の敗北の紋章として「謀略論」へと逃げ込み、これを理論的に辻褄あわせするためにデッチ上げたものであった。解放派や諸派が推進する対革マル戦の現実を否定しようとし、国家権力内の「謀略グループ」が革マルを襲撃していると「謀略論」をデッチ上げ続けるために「ネオ・ファシズム支配」をねつ造する必要があったのだ。「謀略論」は、革命的党派闘争の現実を革命と反革命の対立・激突として革マル=反革命の側が見据えられない帰結であり党派闘争に敗北した紋章である。

 また革マルは、1980年代の「ネオ・ファシズム支配」規定で、「冬の時代の労働運動路線」をねつ造し、「組織現実論」のA(=B)路線で闘うと見せかけて資本の合理化攻撃に屈服して民同に埋没する右翼的労働運動路線を導入し、1987年の国鉄分割・民営化に反革命突撃するのを正当化した。この反革命史を引き継いで、かつての自民党主導の政府の崩壊、民主党主導の政府の成立から崩壊と「ネオ・ファシズム支配」の関係を辻褄あわせをすることもなく安倍政府成立でも「ネオ・ファシズム支配」をデッチ上げ続けているのである。

 「植田」は「反革命通信」「新年号」で「ネオ・ファシスト支配」を許すならば、「日本労働者階級は、これまで獲得してきたあらゆる諸権利を剥奪されみずからの団結の場そのものを破壊されかねない」「全ての労働組合や大衆諸団体は、いまや存在そのものが危機に立たされようとしている」と叫んでいる。しかし考えるまでもなく、かつて動労革マル組織を防衛をするためだけに国鉄分割・民営化攻撃の反革命尖兵として突撃し国鉄労働運動を破壊した歴史をもつ革マルが、「日本労働者階級の権利や団結」を持ちだすことそのものがマヌーバーである。革マル組織が生き残るためだけに、国鉄労働者の闘いと団結を破壊して居直り続けてきたのが革マルなのである。

 1980年から共通するのは、革マル反革命組織を防衛するためだけの一点で「ネオ・ファシズム支配」をデッチ上げ続けたということである。安倍極右政府が成立して危機感を深め、革マル組織を防衛しようとする観点から「反ファシズム統一戦線」を提起したのである。

 革マルは、世界大恐慌爆発情勢、朝鮮反革命戦争とファシズムへの突入情勢にあって、労働者人民の階級闘争や大衆運動が革命的暴力的に発展するのを恐れている。革マルの歴史は、革命的暴力的な闘いに敵対・破壊してきた歴史であり、今また労働者人民の革命的な決起を鎮圧せんとしているのである。戦闘的革命的な闘いを破壊してブルジョア社会と民主主義を防衛し、そのなかで革マル組織を延命させるために「反ファシズム統一戦線」を掲げたのである。この方針で、「開明的ブルジョアジー」と結託して議会主義で生き残りを図ろうとする日共の下部組織を切り取ろうと企んでおり、また社民や「離反・分裂」したJR総連・松崎革マルをこの「統一戦線」へと取り込もうと企んでいる。黒田の「反スタ」―反共イデオロギーを剥ぎとれば、「政治的」には日共の議会主義や改良主義と五十歩百歩の革マルが、「ネオ・ファシズム支配」を口実に、日共の下部組織などを絡め取ろうとしているのだ。革マルの「反ファシズム統一戦線」は、1930年代のコミンテルンが「社会ファシズム論」で「社民主要打撃論」におちいった誤りを「修正」し、ファシズムの脅威に対してブルジョア社会を防衛する一点で提起された「反ファッショ人民戦線」の右翼的な方針を、革マル組織を防衛しようとする利害に引き寄せて焼き直したものである。

 革マルには、「反スタ」=反共・「左翼」反革命として「反革命組織づくり」に一切を集約する以外に帝国主義国家を打倒するこれといった「革命戦略」や「路線」はない。「物質の自己運動」を核心とする黒田イデオロギーを注入した宗教的「組織づり」を拡大することだけが現在直下の「カクメイ運動」なのである。日共などに対するご都合主義的な「批判」で「革命戦略」や「路線」をもち出すことはあるが、自らが実践する日本革命―世界革命の戦略・路線はない。労働者階級が資本と国家権力との闘いから革命性・暴力性を獲得し暴力革命として発展させようとする闘いに対して、「反スタ」=反共の立場からこれに敵対し破壊するのを特性とする。黒田の「反スタ」=反共イデオロギーを除けば政治的にはせいぜい構造改革路線の右派レベルの改良路線にすぎず、朝鮮反革命戦争とファシズムへの突入情勢にあっては、ブルジョア社会と議会制民主主義の防衛を叫ぶ政治性なのである。

 黒田が、米帝の原爆開発を「原子力の解放」と賛美し、ソ連の原発を「原子力の平和利用」と賛美した実績を批判されても沈黙を続けているが、最近になって、黒田の著作にふれて反論するわけにもいかず「ウソとデマ」だと弱々しく呟くしかなかった。国鉄分割・民営化攻撃の反革命尖兵として突撃した動労革マル―JR総連革マルに対して、革命と反革命の闘いとして革マル解体・絶滅戦が敢行されたことを直視できず、党派を「追認役とする謀略襲撃」で「歴史の偽造」だと逃げをうつしかなかったように、革命と反革命の激突を「反スタ」=反共・「左翼」反革命が直視し得ないのは当然である。

「松崎崇拝」を強めて合理化推進の反革命労働運動に突撃するJR総連・松崎革マル

 松崎が頓死してから2年半が過ぎ、「国際労働総研」の機関誌「われらのインター」はJR総連・松崎革マルとしての政治内容をより空洞化させている。JR資本による合理化攻撃が一層強まる中で、JR東労組を筆頭に合理化攻撃に屈服し御用組合化を深めている。JR資本の攻勢が強まるなかで、資本の攻撃と闘うためではなく、ただJR総連・JR東労組を支配し続けるために、綻びはじめたJR総連・松崎革マルとしての組織を立て直そうとしている。「われらのインター」は、「労使結託」時代の松崎「講演」を連載してきたが、それもネタ切れとなり、「松崎明はこう生きた」と題する「評伝」の約2年に及ぶ連載を始めた。革マル中央から「離反・分裂」して以降、合理化攻撃に全面屈服しつつ「抵抗とヒューマニズム」「革命ではなく改良」を粉飾して反革命労働運動を組織してきたが、この過程で革マル的なイデオロギーの希薄化が進んでいる。これはJR総連・松崎革マルとしての組織紐帯の解体が進行する危機でもある。この危機を突破すべく反革命労働運動に突撃した松崎を「偉大な指導者」だったと祭り上げて個人崇拝し、JR総連・松崎革マルとしての結束を固めようと躍起になっているのだ。

 JR東日本は「グループ経営構想后糎造蠅覆前進」を発表し、極限的な合理化計画と同時に「国内産業の空洞化」などの要因をあげて「海外進出」などを提言している。これに対してJR東労組は「会社の健全な発展」は望むが、「国鉄改革を無きものにした『新経営構想』はありえない」として「新経営構想」そのものは評価したうえで、ただ「労使結託」時代の労使関係に執着する立場から「国鉄改革の精神を守れ」を強調している。JR東日本はJR東労組を会社―資本の言いなりになり合理化推進の先兵になる組合に飼い慣らそうと攻勢を強めている。JR総連・松崎革マルは、JR東日本による「検修・業務外注化」、「ライフサイクル制度」などの合理化攻撃に次々に屈服しその推進勢力になっている。しかし同時に、合理化攻撃の推進勢力になってもJR東労組に対する労務政策が転換され、「飼い慣らし」=御用組合化の攻勢が強まる一方であることに危機感を深めている。動労―JR総連革マルが国鉄分割・民営化攻撃の尖兵として突撃し、「資本との結託路線」で国鉄労働運動つぶしに用いた組合つぶしの手法が、「資本との結託路線」が崩壊した後のJR東労組に向かっているのだ。JR東日本による「労働協約の反古」などに対して抗議するポーズをとっていたが、相手にされず労働委員会に提訴する事態になっている。しかし、この提訴も徹底抗戦の一環ではなく「健全な労使関係」にもどるためと位置づけているのだ。

 民主党が衆院選で惨敗して少数野党へと転落してしまい、田城を「政権党」にもぐりこませてJR総連・松崎革マルの組織防衛に役立てようとしたがその目論見は潰えた。田城郁は、七月参院選で惨敗が予測される民主党に籍を置きつつ、「消費税増税反対」「脱原発」「TPP参加は慎重に」「集団的自衛権の行使反対」などを掲げて民主党有志で結成した「コモンズ」に加盟して政治的な延命を図ろうとしている。JR総連は来る参院選挙の推薦候補として「生活の党」の比例代表候補・山岡賢次を決めた。「生活の党」の山岡とは「消費税増税反対」「脱原発」「震災復興」「TPP参加反対」「憲法九条堅持」などの政策で一致しているとしている。昨年、消費税増税に反対して民主党を脱退した小沢グループは「国民の生活が第一」(=「生活の党」)をたち上げたが、衆院選挙で大敗して極小政党に転落した。JR総連は、政党として消滅する危機に直面し、選挙目当ての対策として自民党や民主党の政策と区別化するために掲げた人気取りの政策にすぎないものを評価するとした。山岡賢次は「日本を守る会(後の日本会議)」の結成に参加した山岡荘八の養子になり、山岡荘八を師と仰いでいるとされる。経歴の一端を見てもわかるように山岡賢次の政治的正体は保守政治家にすぎない。小沢一郎がJR総連・松崎革マルと関係を強めたのは、選挙目当てばかりではない。松崎が動労革マルを率いて国鉄分割・民営化攻撃の尖兵として突撃したその反革命性に注目した自民党の金丸以来、連綿とJR総連・松崎革マルの反革命突撃力を「評価」してきたからである。JR総連・松崎革マルは、民主党内の小沢グループとの関係を強め、JR総連を防衛するために活用しようとして山岡賢次を「JR総連議員懇」に引き入れた。その山岡は昨年の衆院選で落選し、来る参院選に「生活の党」と己の政治生命をかけて選挙目当ての政策を掲げJR総連・松崎革マルにすり寄っている。

 JR総連・松崎革マルは、「憲法九条堅持」や「脱原発」を掲げる一方で、「浦和電車区事件」裁判の支援を通して天皇主義右翼ファシスト「一水会」との結託関係をさらに強めている。「一水会結成40周年集会」に田城とJR総連委員長・武井が参加し、田城は「一水会」会長の木村から「真のナショナリスト」だと褒められとはしゃぎまわっている。革命と反革命が激突する情勢下で真性ファシストとの結託関係を深めているのである。

 JR総連・松崎革マルが提訴した、いわゆる「43名リスト裁判」は、3月に第一審の判決があり原告側が敗訴した。われわれが関心をもつのは判決そのものよりもJR総連・松崎革マルと嶋田らが法廷で争ったとされる、JR総連・松崎革マルの革マル中央からの分裂は「偽装説」、船戸や田岡らが「1999年12月に革マルから『決別』した」とする証言の「真偽」を証言し争った点である。原告の船戸らJR総連・松崎革マルのメンバーは、黒田革マルからの「離反・分裂」を既成の事実とし、いまだにくすぶる「JR総連=革マル疑惑」を裁判を通して払拭しJR総連支配に役立てようとした。一方、被告の嶋田らは、「分裂」は「JR総連=革マルキャンペーン」から逃れるための「対立劇」で、船戸らが革マルをやめた証拠はなく今も革マルであると主張している。この証言を通して、JR総連革マルから「真に」ぬけた嶋田グループの存在をアピールし、自らが組織した「ジェイアール労働組合」を犹駛椶塙餡噺⇔呂暴晶腓柄塙膈瓩箸靴毒Г瓩討發蕕うという魂胆である。嶋田グループの「証言」には、2002年10月までJR東労組のJR総連・松崎革マル内部にいたものしか知りえないような「情報」もあって「真偽」はともかく興味深い点もあるが、最大の弱点は2000年分裂に至る革マル組織の内部矛盾の深さと中枢対立を糊塗し、一連の事態は「JR総連=革マル疑惑」から逃れるための「対立劇」だと結論づけていることにある。しかし嶋田らとて、この「結論」に確信をもっているわけではなく、「対立劇で分裂はなかった」か、または対立・分裂はあったが「関係が修復した」のかのどちらかだとしている。松崎は2000年の分裂過程で、自分たちが「正当な革マル」だと意志一致してJR総連・松崎革マルを組織したように、黒田の初期イデオロギーを評価しているし、政治的にも近い内容である。しかし「党内対立」の歴史を経て、革マル中央から「離反・分裂」してその指導を断ち切り、反革命労働運動に突撃する「自由」を得てJR総連を支配するためにJR総連・松崎革マルを組織したのである。松崎が組織した動労革マルは革マル組織における独自の位置があり、1980年代の「冬の時代の労働運動」路線で動労革マルの防衛を自己目的にして国鉄分割・民営化攻撃の尖兵として突撃した。この国鉄分割・民営化への突撃を導いた右翼的な労働運動路線は革マル組織全体に蔓延して1980年代末からの「労働組合運動主義」の「偏向」に陥り、1990年代初めにはこの「偏向」を鎮圧する「反スタなき賃プロ魂注入主義」が革マル組織を制圧した。これに危機感をもった黒田は「賃プロ主義」の制圧にのりだし松崎―動労革マルの支持を得てこれを制圧した。この「賃プロ主義」を制圧して以降も「労働組合運動主義」の未決着、「沖縄革マル問題」に発する革マル中央とJR総連革マルとの対立が激化し、2000年10月の 「JR九州労大量脱退問題」、11月の「坂入拉致」問題で告訴や「階級敵」規定する事態になり組織分裂は決定的になった。革マル中央からの「離反・分裂」を主導したJR総連・松崎革マルの思惑は、革マル中央の指導から「自由」になって、資本と結託するJR総連=反革命労働運動に突撃することであり、そのためにも「JR総連=革マル疑惑」を打ち消す必要があった。「離反・分裂」して以降、「関係修復」の秋波を送り続けているのは黒田革マルの側であり、JR総連・松崎革マルはかつての「党と労働組合」の指導関係には二度と戻らない「決意」を固めているのである。

革マルへの投降を深める「社会党」(旧ハザマ私兵グループ)の革マル「分析」の破産

 対革マル投降分子・外園を筆頭に「社会党・指導部」は、2000年〜2001年の革マル中央からのJR総連・松崎革マルの「離反・分裂」を全面的に否定し、解放派が組織の総力をあげて推進した対革マル戦闘―革命的党派闘争の歴史的意義を完全に清算しようとした。2011年8月「社会党通信」(987号)、「松崎明の絶望死とJR総連革マルの危機」と題する「津島治」(外園)署名文がそれであった。

 「津島」は、犢田革マル中央とJR総連・松崎革マルの関係はどの党にもある「党派と労働組合の役割分担」だ甅牾廛泪訌反イ量圭癲β侘は何もない甅爍複卅輜◆甞廛泪襯ャンペーンから逃れるための「対立劇」だ瓩罰廛泪襪料反ナ裂を否定するデマ分析を展開した。そこでは「JR総連革マルが党派としての革マルの労働戦線の中核部隊」だとし、「分裂したとする論理的帰結―『基本的勝利論』―解体・絶滅戦からの逃亡」だ、と解放派が提起する革マル批判にケチをつけようとした。また、犢田が1996年に議長を辞任した後、松崎が革マル中央を指導し1997年の「神戸謀略運動」を指導した瓩覆匹離妊織薀瓩癖析を重ねた。

 この「雑文」に対して、われわれは「解放」紙(2012年新年号)で壊滅的に批判した。しかし、それ以降も「津島」文の内容を撤回することもなく革マルに対するデマ「分析」が続いている。

 われわれの革マル批判は明解である。解放派が牽引力となった革命的党派闘争の推進が革マル組織に深刻な組織内矛盾を強制して中枢対立を激化させ、その結果としての2000年〜2001年JR総連・松崎革マルの「離反・分裂」を強制したのである。革マル批判に肝心なのは革マルの組織内矛盾への洞察力である。

 「社会党通信」は、2012年9月9日の首相官邸前で取り組まれたオスプレイ配備反対集会において、「九条連」(憲法九条、世界へ未来へ、連絡会)が「JR産別以外の革マル産別部隊で構成されていた」と「報告」した。これは、われわれが「津島」文を批判したにもかかわらず「黒田革マル中央とJR総連・松崎革マルは分裂していない」「松崎が革マル中央を指導」を取り繕おうとして、「(JR総連系の)『九条連』に結集する革マル産別部隊」をデッチ上げたものである。JR総連のOBやJR総連・松崎革マルを支持してきたエセ「文化人」などで構成される「九条連」が黒田革マル系列の産別革マル部隊で構成されることなどありえないのだ。

 「九条連」(1995年結成)の共同代表・伊藤成彦は、2012年の「JR総連結成25周年28回大会」に出席し、その来賓あいさつで「九条連はJR総連と親戚関係」だと親密な関係を披瀝した。2000年〜2001年にJR総連・松崎革マルが革マル中央から「離反・分裂」する過程でも、伊藤らは、「九条連」に介入した革マル中央を批判してJR総連・松崎革マルとの「親戚関係」を続けてきたのである。

 2012年からの「社会党通信」は、革マル「反革命通信」が「連合」メーデー(2012年)の報告として「自治労・東京教組・都高教・全水道・都市交などの東京地公労と私鉄総連の組合員約5000人、および新宿中央公園に結集した運輸労連・JR総連」と書いた「報告」を歪曲し、革マルがJR総連だけを「戦闘的労組」と「報告した」とデマをふりまいた。7月23日の「岩国オスプレイ配備阻止闘争」に関する報告でも「反革命通信」がJR総連にだけ言及したとか、JR総連と革マル学生部隊が一緒に並んで集会した、などとデマ報告を書き連ねた。革マル「反革命通信」が、他の多くの労組とともにJR総連の参加にふれているにすぎないものを「党と労働組合」の指導関係で一緒にやっているとデッチ上げようとしたのだ。こうして「津島」らはJR総連・松崎革マルの「離反・分裂」をあくまでも否定し続けようとしている。これは、対革マル戦―革命的党派闘争の地平を清算し、「デマ分析」と「イデ闘」の真似事で対革マル革命的党派闘争の実践にすり替えようとするものである。これは革マルへの投降そのものである。

 「革マル分析」の犖蹐雖瓩鯒Г瓩此⊆己保身に汲々とする「津島」ら「社会党・指導部」に以下の猯鮖謀事実瓩鯑佑つける。革マルの組織分裂が決定的となった時期の「社会党通信」2000年12月1日付(730号)は、「解体的危機を深める反革命革マル」「JR総連革マルの分裂」の「大見出し」で無署名の革マル「批判」文を掲載した。そこでは「JR総連革マルは黒田革マルからの分裂によって、権力・資本への忠誠のあかしとしようというのだ」「破産した黒田思想」…「『黒田思想』を信奉できない『革マル主義者』は『非革マル主義者』となるしかない。『非革マル主義者』となったJR総連革マルはJR連合と区別のつかないただの資本の先兵にすぎない」などと書いた。この文章は、革マル解体・絶滅戦が強制した革マルの組織内部矛盾と中枢対立に関する分析が欠落しているが、「津島」の「デマ分析」と比較すれば少しは「マシ」である。この文章から判明するのは、当時の「ハザマ私兵グループ」は、黒田革マル中央からの「JR総連革マルの分裂」と把えていた。しかし、その後十余年の歳月をへて、脱落・転向を深めた「社会党・指導部」の末路として、革マルの中枢対立―組織分裂を全面的に否定した「デマ分析」に転換したということである。黒田が悶死した後も組織内矛盾を深めている黒田革マルと、松崎が頓死した後のJR総連・松崎革マルに対する分析と批判を深化し、革マル解体・絶滅戦を勝利に向けて推進しようとする意志そのものを「社会党」が最後的に解体させたのだと断定しうる。自分たちが分析した「JR総連革マルの分裂」「破産した黒田思想」も、JR総連・松崎革マルが「非革マル主義者」になったなどと断定したことも無しにして、「黒田イデオロギー」のもとに牴燭量圭發發覆一つの革マルがある瓩噺愨腓防舛、「イデ闘」の真似事をもって革マル批判と解体・絶滅戦に替えようとしているのだ。これは、「津島」ら「社会党」が革マルと「黒田イデオロギー」に完全投降した証明なのである。

 「社会党通信」2000年1月1日付(708号)で死期が迫っていたハザマは、「黒田イデオロギー」に対して「この程度のペテン的反革命思想を、一時期まともに論破しようとしてきたこと自体、不可思議といわざるをえない」と対革マル党派闘争を「イデ闘」に歪曲して「決着」とし、狹淒鋲争から召還せよ瓩痢岼筝澄廚鮖弔靴拭これ以降十余年、「津島」ら残存「指導部」・反革命テロリストどもは、この「遺言」に忠実に従って犲汰瓩靴討い襪里任△襦