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東北関東大震災被災労働者人民支援大運動を

5・29びわ工場門前闘争―5・30ヤンマー闘争(第二次滋賀県労働委員会闘争・結審)に決起 (1063号1面)

 5月29日びわ工場門前闘争、5月30日、ヤンマー闘争(第二次滋賀県労働委員会闘争・結審)が闘いぬかれた。「反戦・反失業を闘う釜ヶ崎労働者の会」も稲森秀司氏(びわ湖ユニオン書記長)の闘いに連帯すべく結集した。

びわ工場門前闘争

 5月29日早朝より「釜ヶ崎労働者の会」のメンバー四人は稲森氏と長浜駅前で合流し、門前闘争に決起した。当日、中国から「お客」が来るとかで、門を入ってすぐ左側にあるヤンマー旗の真横で中国の旗がたなびいている。びわ工場やヤンマーミュージアムの門前には、創業者のコトバ・「美しき世界は感謝の心から」という巨大な石碑がある。「資本家にとって『美しき世界』とは、使い捨てにする労働者を屈服させ、低賃金・劣悪な労働条件でも雇ってもらえることに『感謝の心』を持たせることから始まる」と言う意味なのだろうか。外国人労働者や「非正規雇用」労働者などをこき使い、使い捨てにし膨大な利益をあげてきたヤンマー資本の労働者に対する傲慢不遜な本心をあけすけに吐露しているコトバなのではないだろうか。派遣労働者を乗せた大型バスが正門から工場内に入っていく。毎回そうなのだが、遠くの高い建物からガラスごしに門前闘争をうかがっている社員がいる。時にはわれわれの活動をカメラに収めている。稲森氏をはじめ参加者は、仕事に来た労働者に「おはようございます。ご苦労様です。びわ湖ユニオンです」と笑顔で声をかける。挨拶をしてくれる労働者も多くいるが、中には緊張した顔で通り過ぎていく労働者もいる。「あの人は以前、僕と一緒に仕事をしていた人です。本人も引け目を感じているのでしょう」と稲森氏が教えてくれる。小雨交じりの中、早朝の門前闘争を貫徹した。

「ヤンマー闘争を支援する会」の後退

 2011年年末、委員長・佐々木真一郎氏に末期肝臓ガンが発見され、佐々木氏は2012年の頭から闘病生活に入り、今年2月9日、58歳の若さで逝去した。最後まで携帯電話を握りしめ、「不公正は許さない!」と労働相談を行なっていた。

 「ヤンマー闘争を支援する会」は、2012年に佐々木氏が闘病生活に入ると同時に、活動費の支援をストップ、毎週水曜日早朝のヤンマーびわ工場正門前での就労闘争にはただの一度も参加せず、びわ湖ユニオンの事務所も昨年の7月に閉鎖、現在、「支援する会」は名ばかりでまったく機能しない状況である。雨の日も雪の日も毎週水曜日、稲森秀司氏はたった一人、ヤンマーびわ工場の正門前に起ち就労闘争を闘いぬいてきた。「釜ヶ崎労働者の会」も微力ではあるが毎月、稲森氏の闘いに連帯し、門前闘争の支援を行なってきた。

ヤンマーが不当解雇した経緯

 滋賀県長浜市にはヤンマーの六工場があり、他の工場から送られてきた部品を小型エンジンに完成するのが、組み立てラインのあるびわ工場である。当時、唯一の「非正規雇用」労働者の労組「アルバイト派遣パート関西・長浜分室(アパケン)」(管理職ユニオン、「連合」系)があったのも、びわ工場であった。組合活動により2008年「派遣法」違反を訴え直接雇用への道を開き(解雇が前提の雇用契約であったが)、強制休日出勤の廃止、派遣会社間同士の賃金格差是正などの権利をかちとっていく。びわ工場の組合員の実に9割が組み立てラインに存在し、労働者の権利向上・職場改善の活発な活動を行なっていった。

 2009年2月15日、ヤンマーは社内から組合員を一掃するために、組合員以外も含めた252人の「雇止め」を強行した。びわ工場では、エンジン組み立てラインのすべての「非正規雇用」労働者・182人を集中して解雇した。小型エンジンの完成部門がストップしても、ヤンマー資本にたてつく奴はすべてクビにする、といった攻撃であった。ここから稲森氏を中心としたヤンマー闘争が開始される。

第一次滋賀県労働委員会・命令における影響

 稲森氏は以下のことを2013年3月に言っている。「今回の第二次滋賀県労働委員会闘争が使用者(ヤンマー)側が有利な状況で進んでいるのは、第一次滋賀県労働委員会闘争の救済申し立ての申し立て主体が『管理職ユニオン』系列の『アルバイト派遣パート関西・長浜分室(アパケン)』であったのですが、2011年3月19日『びわ湖ユニオン』を結成する際に第一次の救済申し立て事件の申し立て主体がなくなることはまずいので、事務所に関しては『びわ湖ユニオン』の事務所のみにするのではなく『アルバイト派遣パート関西・長浜分室』と併記すべきと指摘しましたが、『ヤンマー闘争を支援する会』の誰も趣旨を理解せず、また、第一次滋賀県労働委員会では、ヤンマーの不当労働行為(組合員すべてを社内から一掃するための解雇)を認めない決定が出た際にも『中央労働委員会に不服申し立てをしない』とのアパケンの妨害(副代表・仲村の独断による)が入り闘う機会を失ってしまったのです。第二次滋賀県労働委員会も最初から蒸し返しと決めつけてかかっているので、非常に低い和解案の提示しかしてきていないことが背景にあります」と。ちなみに、第一次滋賀県労働委員会でヤンマーびいきの判断を下した三人は、今回の第二次滋賀県労働委員会の担当者である。

第二次滋賀県労働委員会・結審の現状

 2013年4月新年度を迎えた。滋賀県労働委員会は結審・命令へと向かう重要なこの時期に、担当の労働者委員を解任し、新たな労働者委員に交代させることを強行した。現在びわ湖ユニオンで裁判闘争を闘っている日本電気硝子労働組合の委員長・鹿城和彦という利害関係者をあえて労働者委員に就任させたのだ。滋賀県労働委員会は恥知らずにも、稲森氏をはじめとした労働者の権利を守るつもりがないことを宣言したも同然だ。

 前回3月26日の調査・証人尋問で稲森氏は、「ヤンマーは先行の不当労働行為事件の調査において不当労働行為意思ではなく、爛蝓璽泪鵝Ε轡腑奪瓩砲茲觧澆爐砲笋泙譴覆せ態があったので、『雇い止め』をしたと主張し続けてきたのであれば、前年度対比400パーセントもの増益になった2012年度止むにやまれない理由で『雇い止め』をした労働者(稲森氏)が再雇用を求めて、団体交渉(2012年5月30日)を行ない過去のことは不問にしてまでも新たな雇用を求めたことに対して『企業には裁量権がある』と言い、頑なまでに組合活動家を排除しようとするヤンマーの対応は明らかに不当労働行為であります。このように、連綿と続く不当労働行為意思に貫かれたヤンマーの企業体質を改善するためにも不当労働行為を認定させ労働者の救済を求めたいと思います」と訴えた。

 5・30労働委員会では、和解の提案が稲森氏とヤンマー側双方に行なわれた。ヤンマー側代理人・弁護士は「雇用は全く考えていない」と言うのみであった。労働委員会は、なぜそうなのかという理由すら聞くことをしなかった。

 稲森氏の要求は、「自宅(長浜市)から通える、ヤンマー関連企業への雇用」なのであるにもかかわらず、審査委員・肱岡勇夫は金銭和解をわざわざ聞くという始末であった。

稲森氏の決意表明

 5・30労働委員会終了後、決意表明において稲森氏は、「8月30日に郵送で不当な命令書が届き、すぐさま中央労働委員会に不服申し立てを行なうことになると思います。ヤンマーが滋賀県、長浜市行政に力を持っていることから、雇用が何十回もつぶされてきました。ヤンマーを許すことができません。中労委で新たに闘っていくことになると思います。爛蝓璽泪鵝Ε轡腑奪瓩鰺由にやむにやまれず解雇したと言っていますが、3・11大震災の後、他の企業では考えられない前年度比400パーセントの利益をあげているヤンマーが、たった1人の労働者・稲森を雇うことができない。こういうヤンマーに対して徹底的に闘っていきたいと思います。中労委では、労働委員会、司法のありかたを問う闘いを行なってまいります。今後もご支援よろしくお願いします」とした。

 闘う「非正規雇用」労働者と連帯し、「労働者派遣法」撤廃―「直接雇用」「無期限雇用」をかちとれ。「労働契約法」改悪―「有期労働契約」法制化攻撃を粉砕せよ。