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東北関東大震災被災労働者人民支援大運動を

6・23「慰霊の日」の闘いに決起〈沖縄〉(1112号3面)

摩文仁で安倍来沖抗議を闘う

 6月23日、天皇上陸阻止沖縄青年実行委員会と沖縄・首里日雇労働組合は、「慰霊の日」の闘いに決起した。昨年に引き続き、安倍は防衛相・小野寺や外相・岸田らをともなって来沖し、「県」主催の「沖縄全戦没者追悼式」に出席した。小泉政府以来、首相の式典出席は半ば慣例となっているが、闘う沖縄労働者人民は決して認めていない。6月23日、安倍来沖を許さず徹底抗議する闘いに決起した。

 「沖縄平和市民連絡会」のメンバーをはじめ闘う沖縄労働者人民は、怒りをもって糸満市摩文仁の「平和祈念公園」入口に結集する。午前10時、「沖縄を再び戦場にするな」と書かれた横断幕を掲げ、「県」警と対峙する。権力は闘う沖縄労働者人民を1ヵ所に封じ込めようと歩道に鉄柵を設置し、制服警官を横1列に並べ可能な限り闘う沖縄労働者人民の様子が安倍から見えないようにする。歩道を歩くだけで、しつこく付きまとう。周辺には物々しい格好の権力が厳戒態勢をとり、闘う沖縄労働者人民や摩文仁にやってきた遺族たちを威圧する。

 闘う沖縄労働者人民はこうした弾圧態勢と毅然として対決し、安倍や知事・仲井真の来場を待った。その間、「沖縄平和市民連絡会」のメンバーは、「安倍政府は戦争をもてあそんでいる。『集団的自衛権の行使』で米国と一緒になって戦争をやろうとすることは許されない」「安倍は『追悼式』に出席する資格はない」「仲井真知事の『裏切り』を許さない。即刻知事をやめろ」とマイクアピールを行なう。来場者からも「がんばって」と声がかかる。次第に弾圧が強まり、そこかしこで警察との実力攻防が始まる。

 11時前になると、白バイが交差点の中央でUターンしていく姿が目に入る。上空ではヘリコプターがホバリングする。「安倍が来るぞ!」と声が飛び、全体に緊張が走る。やがて遺族たちが入場するための入り口が封鎖される。11時5分、何台もの白バイが続き、その後方から黒塗りの車列が猛スピードでやってくる。安倍だ。結集した闘う沖縄労働者人民は、一斉に「帰れ!」「名護新基地建設を阻止するぞ!」「辺野古埋め立てを許さないぞ!」「戦争屋・安倍は沖縄に来るな!」「『集団的自衛権の行使』を許さないぞ!」と怒りをぶつける。闘う仲間は、その後もアピールを行ない、「追悼式」開始前の11時半まで安倍の来沖に対する抗議をやりきった。

「国際反戦沖縄集会」が開催される

 全体は「第31回国際反戦沖縄集会」の会場に向かう。「魂魄の塔」の隣にある「ひろしまの塔」前広場では、若いメンバーが軸となって集会準備を進めていた。青年実は、会場前でビラ撒きを行なった。「7月ボーリング調査を実力阻止しよう」「安倍政府を打倒しよう」「天皇来沖を阻止しよう」と訴えるビラは吸い込まれるように受け取られていった。

 12時45分、集会が始まる。主催者代表より「息苦しい世の中だが、勇気を持って基地撤去を闘い、平和な沖縄をつくろう」とあいさつをうける。学生団体のメンバーが司会進行を務め、活動報告や意見表明が行なわれる。ミニコンサートを挟んで、高江からの報告だ。「ヘリパッドいらない住民の会」のメンバーは、「2008年11月に15人が訴えられた『高江座り込み弾圧訴訟』は、『住民の会』の伊佐さんだけが残され上告していた。全国の仲間で支えたが棄却された。だが私たちは変わらず阻止行動を行なう」「建設工事は2013年2月末までにヘリパッド1基が完成し、今年3月半ばまでに2基目が9割がた完成しているという状況だ。だが2007年から座り込みを始めなければ、すでに六基できていただろう。思うように工事は進んでいない」「7月から工事が再開される。高江に来てほしい。6月29日には『高江座り込み7周年報告会』を開催する。ぜひ参加を」と呼びかける。

 安倍来沖抗議行動の報告とカンパアピールを挟んで、辺野古からの報告が行なわれる。「ヘリ基地反対協」の安次富浩氏は、「新たな基地建設に対し、『ヘリ基地反対協』と名護市民は持てる力を振りしぼって闘う」「名護市民の民意は、1月の市長選で出た。だが政府はそれを無視して辺野古『移設』手続きを進めている」「7月以降、ボーリング調査が始まる。日・米両政府は抵抗運動をさせないために『制限水域』の拡大を『日米合同委員会』で決めている。今週中にも閣議決定されようとしている。防衛局とも交渉を進めてきたが無視された。だが、ウチナーンチュは負けない。強行突破するなら、こちらも持てる力を発揮する」「6月28日、辺野古で海上パレードを行なう。浜で集会もする。結集してください」「予備費から500億円も出して海上保安庁を辺野古に総動員する。わたしたちは国家権力と闘い、最後は勝つ」。断固たる決意表明に全体から大きな拍手が沸き起こった。

 次に竹富町の公民教科書採択について、「竹富町教科書是正要求撤回連絡会」の石垣金星氏より報告が行なわれる。「1940年、西表島は日本軍の軍事要塞となった。米軍のグラマンが攻めてきた。私はまだ母のお腹の中にいた」「文部科学省は『育鵬社版の教科書を採択せよ』と恫喝をかけてきた。だが竹富町教育委員会は頑として受け付けなかった」「教育委員会を支える『町民の会』が1万5000筆も署名を集めた」「文科政務官の義家が直接島にのり込んできて脅迫することもあった。だがみんなの支えがあって竹富町は勝った」「竹富町の教科書問題は、辺野古、普天間、高江と共通の問題。アリが束になれば象を倒せる。がんばろう」と訴える。「銭金に迷ゆてぃ 辺野古ぬ海ん売り飛ばし 情ねん人や 仲井眞主やさ でぃんさー」という歌詞をのせて歌った「でぃんさー節」も拍手喝采を受ける。

 最後に与那国からの報告だ。与那国で自衛隊配備に反対する「イソバの会」のメンバーが、携帯電話越しに陸上自衛隊・沿岸監視部隊の配備に至る状況を報告する。「『復帰』後初めての自衛隊基地建設なのに、今までほとんど何の説明もされていない」「町長は経済的理由で自衛隊配備を容認している。だがいくら要求しても、経済発展の具体的な数値を示さない」「防衛省は一部の賛成派とのみ話し合いをして着工まで進めた」「レーダー施設は住宅地から180メートルしか離れていない。住民の健康被害が心配だ」「国は『住民を盾にして国土を守る』と考えているようだ。認められない。沖縄戦の教訓は『軍隊は住民を守らない』だ」。

 閉会あいさつを行なったメンバーは、「2004年4月19日から辺野古で座り込みが始まった。みんな10歳年をとったが、この10年で大きな知恵とつながりを獲得した。持てる力を出し切って、新たな基地を造らせないために闘おう。世界各地で起きている戦争を止めよう」と締めくくった。

安倍、仲井真を許すな

 名護新基地建設と「集団的自衛権の行使」容認を抱えて「追悼式」に出席した安倍は、「沖縄で失われた20万人もの尊い命、痛ましい犠牲、筆舌に尽くしが難い苦難の歴史を経て、今を生きる私たちがあること、平和と、安全と、自由と、繁栄を、享受していることを、あらためてかみしめる日だ」「基地の負担を能うる限り軽くするため、沖縄の方々の気持ちに寄り添いながら、『できることは全て行なう』との姿勢で全力を尽くしていく」とあいさつした。沖縄戦から69年、沖縄労働者人民は「平和」「安全」「自由」「繁栄」のどれ一つまともに与えられた覚えはない。これら一つひとつを獲得するための地道な闘いを否定され続けてきた覚えしかない。「苦難の歴史」は、安倍政府の沖縄政策によって今なお継続している。一貫して爛ネと暴力瓩魘郢箸靴堂縄労働者人民を踏みつけ唾を吐きかけてきた輩が、よくも「沖縄の方々の気持ちに寄り添い」なぞと言えるものだ。公園入口に結集したメンバーが安倍に叩きつけた「戦争屋・安倍は沖縄に来るな!」という怒りは、戦争と基地に怒りをもつすべての沖縄労働者人民の叫びに他ならない。

 この安倍を支える仲井真は、「平和宣言」から「県外移設」の削除を決めていた。「辺野古容認」に転換したのだから正直といえば正直だが、自民党「県」連の説得を受け入れて、土壇場で文言を復活させた。11月知事選で「県外移設」要求を掲げる公明党「県」本部の支持を得るためには「公約を撤回していない」というウソをつき続けることが必要だというわけだ。言葉を弄び、政治かけひきに興じる仲井真に、あらためて怒りが突きつけられている。

 首里・寄せ場の仲間は、「沖縄戦当時、兄は15歳で通信兵にとられた。戦後になって兄の友人から『途中で別れ、その後の消息は分からない』と報告された。6月23日前後まで南部で生きていたらしい。亡骸は何も返ってこなかった。遺骨は『魂魄の塔』に入ったはずだ」と語り、戦争への怒りをもって6・23闘争に結集している。安倍政府の「集団的自衛権の行使」容認をめぐる「いかなる事態においても国民の命と暮らしは断固として守りぬく」なる威勢のいいアジテーションも、名護新基地建設をめぐる「丁寧に説明し理解を求める」というペテンも、沖縄戦を体験し、あるいはその体験を継承し、反戦・反基地闘争を闘いぬく労働者人民に通用するわけがないのだ。

 われわれは、6・23闘争を闘いぬいた地平をもって、名護新基地建設阻止を全力で闘いぬく。ボーリング調査強行を阻止し、埋め立て着工を実力阻止する。安倍政府への怒り、仲井真への怒りを組織し、大衆的実力決起を巻き起こすため奮闘する。