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東北関東大震災被災労働者人民支援大運動を

風雪をものともせず越年・越冬闘争をやりぬく
 〈12・31〜1・3福岡・築港〉
 (1129号6面)

 2014−2015年福岡日雇い越年・越冬闘争は、「寒さと失業をぶっとばせ! 闘って仕事をかちとろう!」をメイン・スローガンに、市内中央区の須崎公園を拠点にして闘われた。

 福岡では、日雇い・野宿の労働者が、朝の暗いうちから築港の寄せ場に立って仕事を探しても、求人業者がまったく来ない日が続く。この越年・越冬闘争で行なったアンケート調査でも、75パーセントもの仲間たちが「生活保護より仕事がほしい」と回答しているが、福岡市行政は、「体が動くうちは仕事がしたい」「働いて生活したい」という大多数の労働者の切実な声には一向に耳を傾けようとしない。それどころか福岡市は、日雇い・野宿の労働者にとって、唯一の現金収入源とも言えるアルミ缶の回収を「条例」で禁止し、「罰金」まで設けて取り締まりを強めている。5月には、「生活保護ホットライン」なる「たれ込みダイヤル」を開設し、生活保護を受給した仲間たちへの締め付けも強めている。労働者に「死ね」と言うに等しいこうした攻撃を打ち破り、力を合わせて闘って、何としても仕事をかちとっていかなければならない。このような厳しい状況をはね返し、共にやり返すべく、福岡・築港日雇労働組合(福日労)が先頭になって、今越年・越冬闘争は取り組まれたのだ。

 事前に積み重ねられた実行委員会の会議には、多くの日雇い・野宿の仲間たちが参加した。越年・越冬闘争を初めて経験する仲間たちや生活保護をとった仲間たちの参加もあった。会場の須崎公園には、常時100人程の仲間たちの顔があった。「会場内でのケンカや泥酔、宴会の禁止」という、実行委員会で取り決めたルールによって、会場内には、常に和気あいあいとした雰囲気がただよっていた。仲間たちは、テントの設営をはじめ、炊事、洗い場、警備、本部などの各班で、朝早くから夜遅くまでの炊事作業、冷たい水を使った食器等の洗い物、寒風のなかでの不寝番、企画・ゲームの進行などの仕事を懸命にやり抜いた。この取り組みを成功させるために、支援物資の受け取りや整理作業、カンパ活動や集中的な準備作業、さらには後片付けにも、たくさんの仲間たちの積極的な参加があった。

 安倍極右政府の暴走が止まらない。戦争とファシズムの時代が急速に近づいている。この安倍政府のもとで、失業と貧困が蔓延している。3人に1人を超える労働者が、「非正規雇用」を強いられ、低賃金と重労働、不安定就労を余儀なくされている。まさに、「寄せ場の全国化」とでも呼ぶべき状況が生み出されているのだ。日雇い労働者と同じような境遇に置かれる労働者が、大量に生み出されているのだ。「一人の野垂れ死にも許すな」「生きてやりかえせ」という、寄せ場―日雇い労働者の闘いは、ますます重要になっていると言わねばならない。このような時代であるからこそ、政府や行政に依存せず、労働者人民自らの力で助け合い生き抜くことの重要さを肌身に感じている人々が多くいる。力を合わせて闘い、生き抜こうという実行委員会の姿勢は、多くの労働者・市民の共感を呼んだ。「何かをしたい」と、炊事や洗い場の仕事を担ってくれた人もいる。衣類や布団や食料品などのカンパ物資とカンパの資金も、これまでにも増して寄せられた。会場まで直接届けてくれる人も後を絶たなかった。労働・生活・医療をめぐる相談会には、弁護士、医師、歯科医師・歯学を学ぶ学生など多くの人びとが、仲間たちの相談に丁寧に向き合ってくれた。多くの人びとに支えられて、越年・越冬闘争の成功はかちとられた。

12月31日

 朝も暗いうちから、多くの日雇い・野宿の労働者が集まった。手慣れた仲間も初めての仲間も、力を合わせて作業を進めていく。炊事班が用意した温かい炊き出しの頃には、寝床やステージをはじめ、会場が形を整えていく。昼の炊き出しの前には、あいにくの雷雨を吹き飛ばすように、2014−2015年越年・越冬闘争の開幕が宣言される。続いて、ルールの説明や企画の案内などが行なわれた。

 昼の炊き出しの後は突入集会だ。「越年・越冬闘争をやりぬくぞ」「一人の野垂れ死にも許さないぞ」というシュプレヒコールが響き渡る。越年・越冬闘争の意義を全体で確認し、「来年こそ、みんなの力で仕事をかちとろう。失業も戦争もない世の中を作るために、福日労のもとに団結して闘おう」という決意を固める。

寄せられた連帯メッセージが代読される。東京・山谷日雇労働組合からは、「玉姫公園を拠点に越年・越冬闘争を闘っています。1月11日、山谷・玉姫公園での『佐藤さん虐殺30ヵ年、山岡さん虐殺29ヵ年弾劾! 金町一家解体! 日雇い労働者全国総決起集会』を共に闘っていきましょう」。「反戦・反失業を闘う釜ヶ崎労働者の会」からは、「アオカン(野宿)の仲間の命を守る『人民パトロール』をうちぬきます。大阪市長・橋下による野宿労働者追い出し、日雇い・寄せ場労働運動つぶしの『西成特区構想』を粉砕します」。沖縄・首里日雇労働組合からは、「軍事基地の集中する沖縄において、政治の崩壊と朝鮮反革命戦争の切迫を強く感じざるをえません。凶暴性を強める安倍政府に全力で起ち向かい、戦争への道を断ち切ろう」。さらに福岡の教育労働者からは、「安倍政権の暴走が続く中、戦争のできる国づくりへの動きはさらに加速しております。どうかこの越年・越冬闘争を成功させて、社会に確かな、そして力強い声と行動を投げかけて下さい」というエールが寄せられた。すべてのメッセージに、会場全体の拍手が送られた。

 午後3時からは、多忙の中を駆けつけてくれた弁護士による法律相談会が行なわれ、5人の仲間が相談をした。同時進行で、「笑福・望年演芸披露」と銘打ったお笑いの数々も行なわれた。歌謡ショーや鼻笛の独演会、マジック・ショーや「博多にわか」、さらには即興の一人芝居などに、仲間たちはステージ前で腹を抱えて大笑いだ。

 午後5時からは、「人民パトロール隊」の出発だ。越年・越冬の取り組みを知らずに、一人で寒さにふるえている仲間がいないか、また病気などによって会場までたどり着けない仲間はいないかと、市内を「パトロール」して回るのだ。「人パト隊員」募集の呼びかけに応えた仲間たちが、仲間たちに配る毛布やカイロ、防寒着や食料品、飲み物などを携え、会場全体の拍手に送られて出発する。

 夜の炊き出しの後には、これまたお馴染みとなった「大みそか抱腹絶倒ライブ」だ。女性アーティストの唄と三味線によるパフォーマンスが、仲間たちを笑いの渦に引き込む。

 ライブの後は、「団結がんばろう集会」だ。各班で頑張る仲間たちからの発言だ。トップバッターは洗い場班だ。班員がそろって登壇し、「天気は厳しいですが、皆さんの笑顔で乗り切りましょう」、「3日間がんばります」、「今日初めて洗い場をやっています」と次々に発言。準備作業に何日も前から携わり片付けまで頑張る設営班の仲間は、「越冬は3日間ですが、設営班は足かけ11日間の仕事になります。最後までやりぬきます」。「事件も事故もなくみんなが楽しく過ごせるよう、昼も夜もがんばります。不寝番の募集もしています」という発言は警備班の仲間。「皆さんがおなか一杯食べられるように、精一杯食事を作ります」は炊事班。「楽しく意義ある越年・越冬闘争にするために、ぜひご協力を」は本部の仲間。この他にも、散髪などで仲間たちが頑張っていることが紹介される。どの発言にも会場からの声援と拍手が応えた。最後に実行委員長の音頭で「団結ガンバロー」が行なわれ、集会は締めくくられた。

 10時の就寝までにも、「川内原発再稼働と火山」を取り上げた映画上映会が行なわれ、年越しそばが振舞われた。雪と強風のなかを、夜の「人民パトロール」も取り組まれた。

1月1日

 朝の炊き出しは雑煮とみかん。夜中からの強風はおさまらず、激しい吹雪となったが、対策は万全だ。テントの下で衣類放出が行なわれ、皆が新しい服に着替える。

 昼食の後は、新年総決起集会だ。「大坂・釜ヶ崎における『センター縮小・移転計画』―寄せ場そのものの解体攻撃を打ち破るために、釜の仲間と共に闘おう」という提起に続いて、「仕事がほしいという仲間たちみんなの切実な声をぶつけよう」と、1月8日からの「対市役所木曜行動」と、29日の「対市役所デモ」が呼びかけられた。福岡市は、「アベノミクス」の「売り」である「成長戦略」の「国家戦略特区」に選ばれた。「創業・雇用創出特区」なるものをもって、「解雇自由化」「残業代ゼロ化」「生涯非正規化」の酷策を、全国に先がけて推し進めようとしている。福岡市に対する闘いは重要だ。山谷では東京都、釜ヶ崎では大阪府と大阪市が公的就労対策事業の予算を組んでいる。今年こそ何としても仕事をかちとるために、福岡県に対する闘いを強化することも提起された。

 3時からは、医師による医療相談会が開催され、11人の仲間が様々な相談に訪れた。終了後、参加者からは医師に盛大な拍手が送られた。

 夜の炊き出しの後は、「労働者交流会」だ。昼間の「生活・労働アンケート」の結果も発表される。長引く失業状態の強制や高齢化にもかかわらず、「生活保護より仕事」と回答した仲間の数は圧倒的である。仕事がないことは切実だ。政府の役人どもが何の根拠も示すこともできないにもかかわらず、「失対事業方式は採らない。民間雇用の拡充」など言い続けることを許してはならない。「仕事よこせの闘いをさらにやりぬこう」ということが確認された。

 2日目の映画上映会は、「速報 辺野古の闘い」と題し、名護新基地建設阻止を闘う辺野古現地における攻防が映し出された。ブイ設置・ボーリング強行との闘い、8・23ゲート前大集会の様子に、仲間たちは食い入るようにスクリーンを見つめていた。続いて、娯楽映画の上映も行なわれ、仲間たちはこの日も楽しく元気に過ごした。夜の冷たい風にも、テントが飛ばされないように強化された温かい寝床に守られて、皆快適に眠りについた。不寝番の仲間たちが会場を守りぬき、皆が一丸となった越冬は続く。

1月2日

 この日も雪がちらつく陽気ではあるが、午前中の「団結もちつき大会」には、もちをつく元気のいいかけ声に、まわりの仲間も呼応して大盛り上がりだ。次々とつきあがるもちを、みんなで頬張る。代わる代わるもちをつく時間はあっという間だ。

 昼食の後には、労働・生活・医療の「大相談会」が開かれた。残念なことに、例年相談会に来てくれている司法書士は、風邪で寝込んでしまったために参加はかなわなかったが、歯科検診をしてくれる歯科医師、ならびに歯学を学ぶ学生がたくさん来てくれた。「しっかりお口のチェックをさせてもらいます」というトップバッターの発言は学生だ。「歯ブラシも配ります。お口のなかで気になることがありましたら、気軽にどうぞ」。さらに整体師の仲間からは、「首の痛み、骨盤や股関節のゆがみ、何でも治療します」という呼びかけがなされた。歯科に14人、整体に9人と、たくさんの仲間たちがそれぞれの相談に訪れた。相談に乗ってくれた歯学生たちは、「お盆にもまた来ますから、それまでしっかり歯を磨いてください」、「『歯茎が痛い』という方がいましたが、ブラッシング指導の通り、歯磨きがんばってください」。「大相談会」終了後には、相談に乗ってくれた方々に対して、惜しみのない拍手が送られた。「大相談会」の最中にも、人パト隊は市内をまわった。

 夜の炊き出し後の会場は、ゲーム優勝者表彰式などで大いに沸いた。新春映画上映会も三夜連続で行なわれた。

1月3日

 この日は朝早くから片付けだ。軍手とタオルが全員に配られ、作業の段取りが説明される。テントが一斉にたたまれ、資材の搬出や公園の掃除が行なわれていく。昼食時にはほとんどすべての作業が終了する。みんなが和気あいあいと協力し合い、力を合わせてこの1年を闘いぬく決意が共有された。新たな闘いの決意を込めて、実行委員長の音頭による「団結ガンバロー」で、2014−2015年福岡日雇い越年・越冬闘争は幕を閉じた。

 他方、ニセ「福日労」―ゴロツキ組合が出来町公園で行なった「越冬祭り」は、天気よりもはるかに寒い状況であった。頼みのゴロツキさえ集まらず、役所も閉まっている元旦にやった意味不明のデモは、全部で20人そこそこ。「炊き出し」なるものも、身内だけで肩を寄せ合って食らっていたにすぎない。労働者から完全に見限られた真冬の「裸祭り」は、惨め過ぎて、もはや見るに忍びない。身内の「忘年会」「新年会」を、わざわざ「全国動員」して福岡でやることに何の意味もなかろう。もうやめた方がいいのではないか。

 行政を追いつめる福日労の闘いは、すでに開始されている。新年8日からの「木曜行動」において、福岡市に対する「仕事よこせ」の声が叩きつけられている。1月29日には「仕事よこせ」のデモも予定されている。無念なことに、昨年12月には、2人の野宿の労働者が立て続けに市内の公園で亡くなった。福日労は、仲間たちの死を決して無駄にすることなく、「一人の野垂れ死にも許すな」という決意も新たに、この2015年、「仕事よこせ」の闘いを断固やりぬく決意である。さらに2月には、日出生台演習場(大分県)における在沖米海兵隊による移転演習が、また川内原発の再稼動も目論まれている。これらを粉砕する闘いにも決起する。越年・越冬闘争の成功を力に、福日労は「反戦・仕事よこせ」の新たな闘いに全力で起ち上がる。共に闘おう。




炊き出し・労働相談に集中的に取り組む 〈12・31−1・2 沖縄・首里〉

沖日労が越年闘争を闘いぬく

 12月31日から1月2日にかけて、沖縄・首里日雇労働組合は那覇市内の公園などで炊き出し・労働相談を実施した。この2014−2015年越年闘争の準備は11月末から始められた。沖日労は、11月30日に準備会を開催し、仲間たちと活発な討論を行なった。昨年の反省点などを再確認しつつ、支援の呼びかけ、買い出し、炊事・配食などの態勢を整えた。仲間からは新たなメニューも提案された。12月に入ると、越年闘争への結集を呼びかけるビラ撒き情宣を本格化し、寄せ場にとどまらず市内各所の公園まわりも行なわれた。街頭カンパ活動には仲間たちも積極的に参加した。首里の寄せ場の現状などが訴えられ、それを聴いた市民から多数のカンパと共感が寄せられた。中にはわざわざ電話して「カンパをして協力したい」と申し出る市民もいた。準備段階から新たな仲間も加わり、3日間の越年闘争に突入したのである。

 炊き出しは、朝は首里の寄せ場、昼は与儀公園、夜は平和通りで行なわれた。12月31日昼の与儀公園では、沖日労のメンバーがハンドマイクとビラ配布で呼びかけを行なうと仲間たちが続々と結集する。配食前に集まった仲間たちを前に全国寄せ場からの連帯メッセージが読み上げられる。「山谷の労働者の場合、名目賃金である民間の『デズラ』はこの5年間、据え置きされたままで、物価高の結果、より大勢の山谷労働者は飢餓線上に投げ出されています」「越年闘争を闘いぬいた力で安倍政府、そして右翼ファシストどもにおれたちの怒りをたたきつけていこう」(東京・山日労)、「2015年は新基地建設阻止の決戦の年だ。その時に一番強いのは、失うものを持たない日雇い・野宿の労働者だ。日雇い・野宿の労働者こそが実力闘争の最先頭に起とう。決戦攻防には、おれたち福日労も現地に駆けつける決意だ」(福日労)、「大阪市長・橋下による野宿労働者おいだし、日雇い・寄せ場労働運動つぶしの『西成特区構想』を粉砕します」(反戦・反失業を闘う釜ヶ崎労働者の会)。夜の平和通りでは、仲間たちが互いに声を掛け合い、指定の場所に集合していた。それだけ沖日労の取り組みが浸透してきているということであり、仲間たちも率先して協力しようという姿勢を示しているのである。その場で組合運動をめぐるさまざまな意見交換も行われた。

 1月1日朝の首里の寄せ場は、少なかったものの、昼の与儀公園は、さらに多くの仲間が各所から集まっていた。準備した弁当とおにぎりはあっという間になくなった。風が強くかなり冷え込んだため、ある仲間は「冷蔵庫の中にいるようだ」と震える。準備したカイロも次々と手渡される。体調を壊している仲間も少なくなく、可能な限り対処した。この日、沖日労は新年の決意を訴えた。「辺野古は勝負の年だ。辺野古闘争に全力を尽くそう」「安倍政府と対決し、若い世代に爐海Δ△襪戮瓩箸いζいを示そう」「『困った時に助け合える組合づくり』『解決力のある組合運動』を推進しよう」。日雇い・野宿の仲間は真剣に耳を傾ける。

 最終日の2日昼には、衣類放出も行なわれる。配食をすすんで手伝ってくれる仲間もいる。地域で闘う労働者から連帯あいさつも受けていく。「大変な不景気だが大同団結して頑張っていきましょう」。口下手な仲間も次第に顔馴染みとなり、組合に声をかけてくる。「現金収入がなくて困っている」「何年かぶりに東京から戻ったが知り合いもなく野宿生活をしている」といった相談も寄せられる。「ビラ撒きなどやる時は手伝いたい」と申し出る仲間もいた。

 沖日労は、3日間で延べ230食以上を配食した。昨年と比べて約40食増である。今回の越年闘争で明らかとなったことは、比較的若い世代が職探しに戸惑い厳しい生活に追いやられていることである。公園まわりではまだ20代のウチナンチュ青年が野宿生活をしていることもあった。沖縄経済は「好況」が宣伝されているが、日雇い・野宿の仲間にとって厳しい現状に変わりはないのである。われわれは、越年闘争を闘いぬいた地平に立って、2015年の激闘を全力で闘いぬく決意である。全国の寄せ場労働者の闘いと連帯し、「反戦・仕事よこせ」の闘いを推進する。名護新基地建設阻止の辺野古現地闘争に全力決起する。