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東北関東大震災被災労働者人民支援大運動を

6・24 同志石井真作虐殺42ヵ年決戦の猛攻で
反革命革マルを解体・絶滅せよ
(1229号11面)

                      革労協福岡県委員会

 同志石井真作が反革命革マルの襲撃によって虐殺されて41ヵ年を迎える。同志石井真作は、革労協総務委員として、また福岡県委員会議長として九州解放派の労学の闘いを先頭で牽引していた。われわれは、プロレタリア共産主義革命の勝利にむけて全人格を投入し、26歳の若さで反革命によって命を奪われた同志石井の怒りと無念をわがものとし、虐殺報復42ヵ年の猛攻を反革命革マルに叩き込み、反革命党派の解体・絶滅を完遂することを宣言する。

 1975年6月24日未明、反革命革マルは、静岡県伊東市で会議中の同志たちを武装襲撃した。革マルは、襲撃の理由を「解放派が武装蜂起の準備をしていた」とし、自らが武装蜂起反対派であり、武装反革命党派であることを自白した。周囲の電話線を切断し、車両を破壊したうえでの襲撃は、負傷した同志たちの救出・治療を遅らせ、死に至らしめることを狙った明白に虐殺を目的としたものであった。党派の出生以来、資本と国家権力に対して正面から体を張って闘う部隊を背後から襲撃し、「左翼」を偽装した組織作りを目的とする革マルの「他党派解体路線」は、解放派を先頭にした早稲田解放闘争の爆発、1973年9・14―15神大夜襲の敗北(白色テロ分子2人の完全打倒)によって破綻を突きつけられていた。これを挽回するために革マルは、1974年4・30解放派の指導部会議の襲撃に踏み込み、それまでとは段階を画した、明白な虐殺を目的とした6・24反革命襲撃を強行したのだ。

 同志石井は、1968年、九州大学箱崎キャンパス中門での革マルとの戦闘で片方の眼を失明するほどの傷を負いながらも革マルを撃退した突撃力を6・24反革命襲撃に対しても発揮した。そのために革マルの白色テロを集中して受け、無念にも斃れた。

 わが解放派は、この6・24反革命に対して革マル組織の絶滅まで止むことのない相互絶滅型の党派闘争への突入を宣言し、革命的テロルを武器とした幾多の戦闘を貫徹してきた。1977年4・15戦闘で、革命軍は、革マルの頭目・黒田に次ぐ実質的書記長・藤原隆義ら四人の完全打倒を戦取し、牾廛泪襪量ね茘瓩覆礁気い海箸鮴鐺によって示した。

 黒田革マルは、日共が名護新基地建設反対闘争を「オール沖縄」で闘い「国民連合政府構想」に集約しようとしていることを批判して「反ファシズム統一戦線」への結集を呼びかけている。黒田革マルは、日共「批判」として「反安保がない」と主張しているが、黒田革マルの主張の核心は、「中・ロの軍事的脅威に対抗せよ」である以上、日米安保容認か、米帝への従属化から脱して狷帝は自立せよ瓩帽圓つくしかない代物である。黒田革マルは、沖縄労働者人民の闘いが実力・武装の闘いとして発展を遂げる時には、「ハミダシ粉砕」「走狗一掃」を叫びながら沖縄労働者人民に襲いかかるであろうことは、確実である。黒田革マルが呼びかける「反ファシズム統一戦線」は、ブルジョア議会とブルジョア社会の防衛運動を組織して労働者人民の革命的決起に敵対し、小ブルとしての延命を図るためのものだ。

 JR総連・松崎革マルは、国鉄分割・民営化の反革命尖兵として国鉄労働運動解体に突撃した反革命実績を資本に評価されて「労使結託」でJR総連―東労組支配を続けてきたが、JR東日本の「経営構想」に口出しするのを許されない「御用組合」としてのみ組合支配の延命を許される存在と成り果てている。国鉄分割・民営化攻撃を「国鉄改革」だとしてJR資本とともに「国鉄改革の継承」を叫んできた松崎革マルのJR総連―東労組支配の当然の帰結である。合理化推進勢力=JR総連・松崎革マルが「反戦」や反原発闘争への介入で「抵抗とヒューマニズム」を粉飾して闘争破壊と組合支配の延命を図ることを許してはならない。

 反革命革マルを解体・絶滅することは、日本革命=世界革命を領導する党派の階級的責務だ。革労協は、6・24反革命―同志石井虐殺報復42ヵ年決戦の猛攻でこの責務を完遂する。黒田なき黒田革マル残存中枢―「植田」・「前原」・「柳葉」・西條・朝倉・土門らと「投降路線」で権力への恭順を誓う反革命「特行」どもを革命的テロルで打倒せよ! 敵前逃亡する脆弱学生革マル、帝国主義労働運動・「連合」に寄生することで延命を図る残存産別革マルを総せん滅せよ! 松崎なきJR総連・松崎革マルを総せん滅せよ! JR総連反革命労働運動を打倒せよ!