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東北関東大震災被災労働者人民支援大運動を

進撃する全学連
全国大学で大学祭闘争を闘いぬく (997号1面)

東北大学

 東北大学では、11月3日から5日にかけて大学祭が行なわれた。東北大学社会思想研究会は川内北キャンパスのサークル部室において「3・11東北・関東大震災の被災者を支援しよう!」「原発問題を共に考えよう!」をテーマに掲げて大学祭に取り組んた。

 大学祭に先立ち、「東北大から被災地支援に行こう!」「利潤を追求し、被災者を置き去りにする『復興』を許さない!」というビラを撒き、立て看板を構内と部室の前に立てながら大学祭企画への参加を呼びかけていった。

 11月3日と4日の両日、「3・11東北・関東大震災―被災地支援活動の報告と説明会」を行なった。企画には、「自分も被災地でのボランティアをやってきたが、学生がどういう支援をやっているのか見に来た」という市民が話を聞きに来た。

 11月5日には、原発問題を考える企画を行なった。福島第一原発事故を取り上げ、反原発の立場にたつ研究者の「3・11から始まったこと」と題した講演ビデオの上映会だ。「仙台に住んでいるが、やはり放射能は怖い。原発は危険だ」と言ってくる人もいる。立て看板に見入る人も多い。

 東北大社思研は、被災地の労働組合である宮城県地域連合労働組合の労働者と共に、仙台市の被災地で支援を担ってきたが、今後も被災地支援を闘っていく決意である。被災して生活基盤を失った農民・漁民・労働者の「生活再建」の見通しも立たず、冬の寒さを迎える被災者の生活は一層厳しくなる。被災者の力となるような支援活動が今も東北大の学生に求められているからだ。
 政府は被災地を「復興特区」として、ゼネコンなどの大手資本を導入し、その利益を最優先にして、被災地の労働者・農民・漁民を切り捨てる「復興」を進めようとしているが、これを許してはならない。

 「被災した労働者・漁民・農民が生産現場の主人公になる社会の実現」をめざして被災者と共に生きぬいていくためにも被災地支援が重要なのであり、多くの東北大生の結集をかちとることが必要である。

 福島第一原発事故は「収束」するどころか、高レベルの放射能は漏れ続け、労働者・農民・漁民の命と生活を脅かすかたちで拡大している。 
 
 野田政府は核武装化のための「原発推進」「原発輸出」を推し進めようとしている。「原発再稼働」阻止、「すべての原発停止―廃止」「六ヶ所核燃再処理工場稼働」阻止に向けて闘いぬかなければならない。

 東北大当局によるサークル活動の規制・管理は一層強まっているが、われわれは当局の自主的サークルの非公認化=サークルつぶし攻撃をはねかえし、被災地支援と反戦・反核闘争を闘う戦闘的学生運動の組織化に向けて奮闘する。

宇都宮大学

 宇都宮大学では11月19日から21日の3日間、「第63回峰ヶ丘祭」が開催され、新聞会が「〈3・11〉以降〜今こそ被災者支援を〜」と題するDVD上映・パネル展示を行なった。

 DVD上映としては、1950年代に日帝が米帝の支援の下、核武装を見すえた原発導入を強硬に推進した過程を克明に暴いたドキュメンタリーである「原発導入のシナリオ」、地域で孤立を強いられながらも粘り強く反原発闘争を闘う住民を取り上げたルポルタージュ、良心的な原子力研究家である京都大学原子炉実験所助教・小出裕章氏のインタビュー、この三本を連日上映した。パネル展示は、被災地の現状と新聞会による4月末と7月下旬〜8月初旬の現地支援の取り組みを紹介するとともに、マスコミでなかなか取り上げられない福島第一原発事故の実態を暴く画像の数々を掲示した。

 そして、「峰ヶ丘祭」開催直前に「粘り強い被災者支援活動を」と題した宇大新聞第179号を発行し、学内に配布した。強まる当局の規制を跳ね返して立て看板やポスター掲示による学内宣伝もやりぬいた。そのかいもあり、3日間を通して、例年にないほどの大勢の、宇大生はもとより、幅広い層の参加者を集めた。参加者は、日頃の閉塞状況のなかで蓄積した思いを会場で発散させるべく、思い思いの感想を語っていった。とりわけ今回、被災者や支援活動参加者が多く来訪し、パネルを見て口々に、甚大な地震・津波被害の実態や、マスコミ報道に表れない深刻な放射能汚染の実像を語っていった。またDVD上映の感想として「原発政策の裏側を初めて知った」「次の世代に伝えていただくとありがたい」などとする声も続出した。さらにアンケートに被災地での支援活動希望を書き残す者も現われるなど、企画は活気に満ちたものとなった。

 宇大では当局が「官製ボランティア」としての被災地支援活動に取り組み、「峰ヶ丘祭」期間中もパネル展示を行なっていた。しかし官製企画らしく、「人災」としての大震災の実態や核―原発政策について正面から取り上げるものには到底なっていない。こうした実情を踏み越え、正面から被災労働者人民支援大運動への参加を訴えるものとして、新聞会企画の成功をかちとったのである。

 宇大では、革命的学生運動根絶を核心とした学生自主活動に対する規制・管理をますます強めている。特に一一月に入り、学生支援課は、サークル会館内にある新聞会室に突然ドカドカと踏み込み、「学外者のみの使用禁止」を一方的に通告するばかりか、代表の部員を携帯電話で呼び出して恫喝を加えてきた。当局は、被災労働者人民支援活動に率先して取り組むなど飛躍に向って奮闘する新聞会を狙い撃ちし、日常的に監視の目を光らせ、壊滅の機会をうかがっているのだ。
 こうした当局の攻撃を跳ね返し、新聞会の活動条件をより磐石なものとしていく。何よりも宇大生の組織化をおし進め、宇大における革命的学生運動の創出に向けてさらに奮闘していく。

千葉大学

 千葉大学では、11月3日から6日、西千葉キャンパスで「第49回千葉大祭」が開かれた。その期間中の11月5日、医療問題研究会が、学外の市民会場において、「障害者」解放企画として「病院が消えた ―福島 障害者の今―」、「街に出よう」の2本立てによるDVD上映会を行なった。3月11日の福島第一原発事故によって避難生活を余儀なくされ、しかも地域の中核病院そのものを原発事故で失うことで日常的な医療すらも奪われ苦闘する「障害者」たちの実像を描きだすことで、被災労働者人民支援大運動への決起を訴えた。そして同時に、1970年代の「障害者」自身による川崎駅頭でのバス占拠をうちぬく実力決起を紹介することで、新たな革命的「障害者」解放運動への決起を提起していくものとして、今回の企画に取り組んだ。

 千葉大当局は医療問題研究会に対する排除攻撃を続け、南門付近での勧誘活動ですらガードマンが監視して逐一報告する状況が続いている。そんな厳しい条件の下ではあったが、医療問題研究会は千葉大祭期間中、千葉大生や大学祭参加者に対する宣伝活動を粘り強くやりぬいた。そのなかで、全障連東北ブロックをはじめ、東北・関東大震災の被災地で悪条件のなか自立生活を再構築しようと奮闘する現地支援活動への決起を、千葉大生や千葉大祭参加者に提起し討論を重ねてきた。その上で、この日のDVD上映会をやりぬき、最後まで貫徹した。

 千葉大当局は、日常的に「公認サークル以外の勧誘に気をつけろ」「安易に署名に応じるな」などとするポスターを張り巡らすなど、課外活動に対する管理・統制をさらに強めている。大学祭や新歓活動についても、実行委員会が当局の下請け機関に成り下がっている現状がある。千葉大当局によるサークル活動への規制強化を跳ね返していかなければならない。当局の妨害を跳ね返し、医療問題研究会の強固な構築に向けてさらに奮闘していく。

 昨年の千葉大祭において、共にビラまき情宣をやりぬいた同志・高橋かおりが今年1月に死去してから早くも1年が経過しようとしている。同志が志した「障害者」解放運動の営為を引き継ぐものとして、野田連合政府による「障害者」抹殺攻撃と対決し、諸潮流の総翼賛化を踏み越えて、革命的「障害者」解放運動の強化を推し進めていく。

 未だ千葉大にうごめく日共・民青との競合に勝ちきり、〈戦時下の新たな革命的学生運動の創出〉を千葉大からなし切る決意である。

駒沢大学

 駒沢大学では11月6日、午後4時から、大学近くの会場において自主駒沢祭企画として、社会福祉研究会主催の「障害者」解放企画をかちとった。「病院が消えた ―福島 障害者の今―」と「街に出よう」の2本立てのDVD上映を行なった。警視庁公安刑事が会場近くに陣取り、これみよがしに監視する態勢をとってきたが、一切の弾圧を許さずに企画を貫徹した。

 駒大当局は社会福祉研究会は「非公認サークルである」として、不当にも学内への立ち入りを禁止しているため、門の外での社会福祉研究会のビラまきを行なってきた。駒大の学内では公認サークルでも学生部への申請がなければ、ポスターを貼ることも、ビラをまくこともできない困難な状況が強制されている。大学当局は、新入生の革命的学生運動への決起―合流はもとより、学生の自主的活動自身をキャンパスから一掃し、もの言わぬ学生、当局に従順な学生を作り出そうとしている。駒沢大学駅から大学にいたる道々に「駒沢大学」の腕章をしたガードマンを配置、通学する学生を、すべて北門から学内に出入りするようガードマンが誘導している。おかげで昼休みは、混雑で渋滞が起きる有様である。こうして学生の一挙手一投足を監視し、学生の管理・統制を強化している。

 今回の「障害者」解放企画は、駒大当局主導の御用学園祭「駒沢大学オータムフェスティバル2011」に対抗してかちとられた。駒大当局は、2004年に、反戦・反差別を掲げてかちとられてきた学生の自主的祭典である「駒沢祭」を大学祭実行委員会の「準備不足」を口実に「中止」してきた。それ以降、新歓でのビラ、ポスターの検閲、日常的な学生に対する管理支配が強化される一方である。そして、学生の管理支配体制強化―革命的学生運動解体攻撃の一環として、2005年以降、御用大学祭=「オータムフェスティバル」開催を主導してきた。しかし、サークル活動の規制を強化したうえでの御用大学祭であるから、当然にも盛り上がりに欠けるものとなり、教員が主導してのゼミ生の参加でようやく持ちこたえているだけの代物となっている。その上で、「客寄せ」のつもりなのだろうか、「オータムフェスティバル」において「ミス駒沢コンテスト」なる女性差別企画が開催される有様である。そんな閉塞状況を食い破る、〈戦時下の新たな革命的学生運動の創出〉を、何としても成し遂げていかなければならない。

 駒大当局の管理支配体制強化―革命的学生運動解体攻撃と対決し、闘う学生を組織し、自主大学祭=「駒沢祭」の再開をかちとるべく奮闘する。

明治大学

 11月3日から11月5日、明治大学和泉校舎で御用大学祭=「第127回明大祭」が開催されることに対して、明大学生会中執・学苑会中執は初日の11月3日、「明大祭粉砕」を訴える情宣行動に決起した。

 午前11時、「明大祭」開会式が開始されるさなか、京王線・明大前駅に学生会中執・学苑会中執の部隊が登場する。学生会中執・学苑会中執はアジテーションを開始し、明大前駅頭を通過する明大生に対するビラまきを行なった。明大前駅頭は「明大祭」に向かう多くの明大生らでごった返していた。また明大前駅頭には「明大祭実行委員会」が陣取って道案内を行なっていたが、学生会中執・学苑会中執の登場で明大前駅頭の空気が一変した。道行く明大生は学生会中執・学苑会中執の情宣行動に注目し、配布するビラを次々に受け取っていく。明大当局の規制や公安警察の監視をものともせず、学生会中執・学苑会中執は明大前駅頭情宣をやりぬいた。

 そもそも「明大祭」は、学生運動解体攻撃の末に2003年に当局主導で作られた御用大学祭であり、「第127回明大祭」なる名称自体、正確ではない。正確には「第9回明大祭」とでも名乗るべきシロモノである。明大当局は、2003年に大学祭実行委員会を勝手に組織し、御用大学祭を新たに起ちあげた。しかも、駿河台地区での大学祭を廃止した上で和泉地区に無理やり統合したのである。これが御用大学祭=「明大祭」の起源である。

 「明大祭」には政治・社会の矛盾に正面から切り込む学生独自の文化・芸術・学問を創造しようという機運は皆無となっている。とりわけ、従来の自主大学祭で前面に掲げていた、反戦・反差別の企画は完全に排除されてしまっている。そして今年、3月11日の東北・関東大震災に際して「被災地に行くな」と被災労働者人民支援を率先して制動した明大らしく、「明大祭」においても被災労働者人民支援についてすら大々的に取り上げようともしない。

 そんな御用大学祭の精神は、開催される企画にもハッキリ示されている。牾慇犬了臆辰少なくなると、御用大学祭開催の意味がなくなってしまう瓩箸いε局の焦りが、ここ数年の、タレントを使った豪華な企画に現れている。かつて大学祭を運営していた側から見ると、疑問ばかりが浮かんでくる。開会式などのステージ企画一つ見ても、豪華なセットをこしらえ、名だたる著名人からの画像メッセージをかき集め、ド派手な仕掛けを繰り出すなど、まるでテレビ番組のスタジオのごとき様相である。従来の自主大学祭の人員と予算では到底実行不可能な企画がやたら林立している。パンフレットの協賛には、大企業の社長や代議士らが軒並み名を連ねている。

 当局は、学生から搾り取った高い学費を惜しみなく大学祭に投入し、さらに政治家や大企業に擦り寄って、「国家と企業に貢献する大学=明大」をアピールすることで、とにかく数多くの参加者数を確保し、より受験者数を増やすための明大の宣伝に使おうとしているのだ。これが「『個』を強くする大学」=明大の実態である。

 当局は現在でもキャンパスにファシストガードマンを常駐させ、自主的サークル活動を大きく規制している。気に食わないサークルに対する処分を乱発し、閉塞状況を強制している。学生会館も当局管理のサークル会館となり、厳しい使用基準に合わない学術系サークルなどを次々と排除している。その結果、サークル会館は今やお遊びサークルばかりとなっている。さらに学生課自らが「M―naviプログラム」なる課外活動を展開することで御用学生の育成に躍起となっている。

 「明大の受験者数2年連続日本一」なるバブルに浮かれる明大当局は、今年を「創立130周年」として、新たに「世界へ! ―『個』を強め、世界をつなぎ、未来へ―」なる、どこまでも舞い上がったスローガンを新たにうち出している。「人類の未来を見据えて、『世界へ』飛び立つ人材を育成すること」なぞと露骨に言いなして、日帝の尖兵となる人材育成をさらに進めようとしているのだ。そして、設備投資をさらに加速させて豪華な建物を次々に建設している。こんな流れが続けば、明大が狄靴燭奮愿牝旭瓩棒儷謀に貢献する大学となっていくのは必至である。この流れを断ち切る反戦の闘いを、創りあげていかなければならない。

 世界大恐慌爆発情勢下、明大における〈戦時下の新たな革命的学生運動〉を何としても実現させる決意である。

関西大学

 関西大学では、11月3日から6日まで「関西大学統一学園祭」が開催された。今年も差別問題を真剣に取り扱う企画がない、関大当局によって規制・管理された大学祭の現状を打破すべく、「『障害者』解放をめざす会」は11月3日、市民会場において「障害者」解放講演会を行なった。

 講演に先立つ情宣では、関大生との活発な議論が交わされた。親がヘルパーをしている学生や「障害者自立支援法」に反対している映像を観たことがあるという学生、あるいは、自分の家族が「障害者」であるという学生など、様々な関心を持つ学生がいた。

 講演会では、全障連関西ブロックで闘う「障害者」が講師となり、自分の生い立ちや「障害者」解放運動の課題などを約一時間半にわたって話した。講演のあとの意見交換では、地域で自立生活をおくる「障害者」やヘルパーによって、「障害者自立支援法」のもとで日頃感じる矛盾や問題点などが取り上げられ、活発な意見交換が行なわれた。

 関大当局による規制・管理を打ち破り、全学連第52回定期全国大会の成功をも力に〈戦時下の新たな革命的学生運動〉の一大飛躍をかちとり、関大生の革命的学生運動の戦列への組織化をかちとらねばならない。

徳島大学

徳島大学では、11月3日から5日の3日間の日程で大学祭が行われた。

 新聞会の学生は、11月3日と4日に、「『絶対安全』はない原発」と題して反戦・反核パネル展を開催し、昨年よりも2倍の学生・労働者が来場した。パネルでは、福島第一原発事故が「人災」であること、原発は事故を起こしたら放射能汚染など取り返しがつかないこと、福島では原発を維持するために今も労働者人民に被曝を強制していること、そして、原子力政策は日帝の核武装のために行なわれているものだということが明らかにされた。また、イラクやアフガニスタンでの米帝―帝国主義による労働者人民虐殺の実態や、自衛隊も「対テロ戦争」の一環としてソマリア沖に出撃していること、朝鮮反革命戦争突撃のために沖縄・名護新基地建設などが強行されていることを暴露・弾劾した。来場者からは、「原発は人の手に負えないもの」「戦争で何が起きているのか詳しく分かった」などの意見が寄せられ、討論の輪が広がった。

 また、部落解放研究会の学生も、同じく11月3日と4日に、狭山パネル展を開催し、正念場をむかえた第三次再審闘争の勝利へ向け、狭山闘争への決起を来場者に訴えた。

 そして、最終日の11月5日には、文化団体連合会の主催で、「弘前核に反対する会」の人士を講師に招いて、「福島原発事故がもたらしたもの〜いま何を考えなすべきか〜」と題する講演会が開催された。講師は、「福島市も放射能汚染が高い。避難区域の設定は、住民が安全かどうかではなく国の政治的判断で行なわれた。除染はいつ終わるか分からない作業。そこに子どもも含め、住まわせている」などと話し、長年の反原発運動での豊富な経験をもとに原子力政策に反対していくことが呼びかけられた。

 大学祭で打ち固められた団結で、徳大における革命的学生運動の巨大な隊列を必ずや実現していく。

九州大学

 九州大学では、5度目の御用大学祭が、11月19日から2日間強行された。「九大祭実行委員会」は2007年度以降、学生の自主的活動としてではなく、学生による承認手続きを経ずに結成されている。全学教育が伊都キャンパスへ移転した2009年度以降、「九大祭実行委員会」は、大学当局お墨付きの学園祭を取り仕切る御用学生団体として毎年結成されてきた。昨年からは、「授業時間の確保のため」という当局の意向を「実行委員会」がそのまま呑んだため、「九大祭」の実施期間が丸1日以上短縮されて、2日間だけの開催に切り縮められた。「期間延長」(従来の日数の維持)を望む文化系サークルを中心とした学生たちの声は、「実行委員会」にも当局にも、聞き入れられなかった。今年に関してはさらに、悪天候の影響により、予定されていた企画がいくつも中止され、2日目の午前の部に至っては、すべて中止されて午後のみの開催となった。開催期間の短縮が、このような形で学生たちの活動を台無しにしているのだ。

 御用「九大祭」は、表向き華やかな様相を見せた。しかしその実態を検証するならば、九大版「ミスコン」「ミスターコン」が行われたことに象徴されるように、学生の視点から社会の不正・腐敗を批判するどころか、むしろ助長する方向へと向かうものになっている。内外に向かって、変革のための問題提起と情報発信を行なってこそ、大学祭の本来の意義があるにもかかわらず。

 学生の承認なしに結成された「実行委員会」が、学生の総意に立つことなぞできはしない。学生を管理・統制し、差別と腐敗を満開させるだけだ。御用大学祭を粉砕し、九大祭を学生のもとに取り戻さねばならない。九大社会科学研究部の学生たちは、その熱意のもとに、御用大学祭に対抗して独自企画に取り組んだ。

 社研は、11月20日、伊都キャンパスの最寄り駅にある市民会場において、地域で自立生活を営む「障害者」の講師を招き、「『障害者』からみた東北・関東大震災」というテーマで学習会を開催した。これに先立ち、御用大学祭が開催されている当日にも、伊都キャンパスや駅頭で学生たちに参加を呼びかけた。

 企画は、多くの参加を得て社研の学生の司会で始まった。社研の学生は、東北・関東大震災被災労働者人民への現地支援活動に行った際に見た現地の状況を写真を交えて報告した上で、講師を紹介する。続いて講師が自己紹介も兼ねて、自らが「障害者」として「地域で生きる」ことを選択し、自力での介護者の募集を行ない、多くの学生や労働者との関係を築きながら、介護制度に依拠しない生活を闘いとってきたことを明らかにする。さらに、「『障害者』が地域の中で生きるということは、大変な困難や危険が伴う。とりわけ今回の大震災では、多くの『障害者』が命を奪われ、また差別ゆえの様々な困難を強いられた。震災時のように社会が極限状態に陥ったとき、『障害者』は真っ先に切り捨てられる。人の繋がりをどれだけ持っているかによって、生死をも左右されてしまう。行政も施設も介護会社も機能しなくなったとき、『障害者』は、地域での繋がりがなければ助かる命も助からなくなる。だからこそ、地域の中で共に生きるための日ごろの実践が必要だ」と提起した。その後、質疑応答に移り、活発な意見交換が行われた。最後に社研の学生が、「介護を通じて、『障害者』と共に差別と闘い、共に生きる関係をつくっていくことの意義をあらためて確認しよう」と訴えて、学習会を終えていった。

沖縄大学

 11月5日から6日にかけて「第52回沖大祭」が開催された。沖大祭は1昨年まで全3日間の日程で開催されていたが、昨年は台風による延期で日程が2日間に縮小された。今年は昨年の日程が引きつがれることで、学祭の縮小が決定づけられたかたちだ。また大学当局は今年より各企画に対し経済的な面から介入を強めた。わずかばかりの援助金の使途について事前に逐一口をはさむなど、学生の自由な発想を封じ込めようとした。

 学祭は「Local Motion〜つながり〜」をテーマに開催されたが、実行委員会による企画は例年と変わらず、内輪で楽しむものか「客寄せ」ものばかりだった。「地域のうねり」という掛け声ばかりで沖縄の現実とかけ離れた企画の数々では、たとえ「沖縄大学図書館企画」として「辺野古不同意」というドキュメンタリー上映などが行なわれても、まばらな入場者となるのも無理はなかった。

 そうしたなかで沖縄の現実に正面から取り組む企画もあった。10月、閣僚や民主党幹部らが続々と来沖し名護新基地建設をゴリ押ししようとするなか、焦眉の課題である普天間基地を取り上げた展示だ。パネルには沖縄戦前と現在の宜野湾市の地図が並べて貼り出され、戦前の地図には中央部に集落が存在し幹線道路が走っていたが、現在では市域の約4分の1を占める普天間基地のまわりに学校、病院といった施設や住宅地が広がっている様子が浮き彫りにされた。基地周辺に点在する史跡・文化財も展示されていたが、その多くは銃痕などの傷跡が残っていた。これらをみれば地上戦が地域社会を徹底的に破壊し、普天間基地が生活と生産の場を奪っている現状が分かる。それは市民の「日常」に密接し、命と生活を脅かし続けているのだ。見学する学生や市民は基地被害を認識してはいるが、それを決して見過ごすことなく具体的な写真・資料などを駆使して明らかにした展示に見入っていた。来場者の間には自然と論議が巻き起こった。

 社会への批判力をもち強いられた現実を打破する内実なき学生の「自主的活動」なぞ、簡単にナショナリズムにからめとられてしまう。普天間基地解体・名護新基地建設阻止を闘いぬき、労働者人民に強いられた矛盾を解決する展望をもった沖大学生運動の構築が厳しく問われている。