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東北関東大震災被災労働者人民支援大運動を

福島原発事故と反核・反原発運動(985号7面)

 福島原発事故と反核・反原発運動       川原六郎

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  3・11大震災―福島原発事故発生から4ヵ月を経過して、政府から「廃炉に向けた工程表(案)」が出され、東京電力からは工程表の「第一ステップがほぼ完了し第二ステップへ移行した」と発表されている。さらに、「損害賠償支援法」が成立している。しかし、本当に福島原発は「冷温停止」の状態になって、「収束」へ向かっているのか。また政府の言う「廃炉に向けた工程」なるものは、可能なのか。そして、「損害賠償支援法」は、被害に呻吟する労働者人民を救済するものなのか。現状と展望に関する問題を提起しておく必要があるだろう。
 原発に関する歴史的な論争の諸点に関して、はじめに科学技術的側面を述べ、その後に社会的政治的背景について述べていくことによって問題点を整理していきたい。

原発の危険性に関する科学技術的・工学的根拠

 原発がいかに危険なものなのかは、現実の見本として福島原発が存在しているのであるから、いまさら詳細に書く必要はないであろうが、用語の理解とこれまでの原発推進派・擁護派との歴史的な科学技術的・工学的な論争の整理もかねて、その範囲で簡単に述べておこう。
 原発はウランを燃料とするが、実際に燃料となるのは、ウランの同位体のうちで自然界ではごく少量しか存在しないウラン235であり、大体のウランはそのままではほぼ安定なウラン238である(この割合は自然界ではウラン235―0・7パーセントに対し、ウラン238―97・3パーセント)。「そのままでは安定な」と書いたのは、ウラン235は、放っておいても核分裂をおこして放射線を出しながら他の物質へと変わっていく(この過程が遷移)現象を起こすからである。ところが、その上に、ウラン235に中性子をぶつけると複数の中性子とエネルギーを放出しながら核分裂生成物になる現象がおきる。この過程でできるいくつもある核分裂生成物は、いずれも放射性物質であり、放射線を出しながらやがて安定した物質へと遷移していくのである。「ウラン235に中性子をぶつける」と言うとき、中性子の速度やウラン235のエネルギー準位(ウラン235のはらむエネルギーの状態)によって分裂の仕方が異なり、出てくる中性子の速度、個数、さらには結果としてできる核分裂生成物が異なってくる。
 ここで、ウラン235が分裂する際に複数の中性子を放出する性質から、ウラン235を一定の濃度(原発燃料はウラン235の割合を3パーセント〜5パーセントまで高めてある)と量にすると、中性子のウラン235への衝突―ウラン235の分裂―中性子の発生という過程が連続的に進行するようになる。これが連鎖反応であり、これが発生する状態を臨界というのである。この際にでるエネルギーは、ウラン1キログラムあたり石油1キログラムの1万2500倍にあたるとされる。さらに、この連鎖反応が停止したのちにも、核分裂生成物は遷移の過程で熱と放射線を出し続ける。これを崩壊熱と言い、通常の原発運転時の10パーセント程度とされている。
 このように書いていくとき、なにが問題なのか、それこそ「夢のエネルギー」ではないかと思うはずである。多くの理系の学生がそう思い、原子力技術者への道を志向―選択していったのである。根本的な問題は、発生するエネルギーの量が膨大すぎるということであり、その一部が放射線として放出されることである。ここで問題になるのは、熱エネルギーはまだ他に変換できるが、放射線エネルギーは他に変換しようがないし、さらにこのエネルギーをコントロールする術など確立されているとはとても言えないのが現在の科学技術の段階なのである。ここで反技術論的な立場から立論をするつもりはないが、こんな当たり前のことさえ認めないのが現在の原発にかかわる科学者・技術者なのである。まさしくこんなことは百も承知の上で、利権のために原発推進の片棒をかついできたのが、原発学者のほとんどなのである。端的には、事故直後に原子力安全委員会委員長の斑目が、大量の放射能汚染水の対処方針を問われて「安全委員会はそれだけの知識を持ち合わせていない」と言ったように、事故に至る過程での制御が困難なだけでなく、いったん事故が起きれば対応不可能になるのはわかっていたことなのである。原発は「未成熟の技術」だとよく言われる。そもそもそんな技術を具体化してゴリ押しすること自体が無謀きわまりないはずなのだが、一方で段々よくもなってきているという論拠にもされるのである。たしかに1960年段階の暴走事故が頻発した段階から少しづつ技術的にはましになっているかに見える。しかし、その「成熟」までの事故を受忍することなどはできようはずもないし、たとえ狎熟した技術瓩箸覆辰燭箸靴討癲⊃涌拇ミスを含めて事故そのものの根絶は不可能なのであり、原発以外の技術においては、たとえ事故があっても規模が小さいためにただ「リスク」としてこれを受忍されているというだけである。原発事故や核関連施設の事故の現実は、この受忍が不可能なほど大規模とならざるを得ないことを示してきた歴史である。大規模原発事故は10年〜20年に一度しか起こってこなかったが、たとえ「原発技術」が「成熟」しても、このこと自体がかわることはないのであって、事故の「リスク」を受忍することができようはずがないのである。簡単に要約した言葉としては、「大事故が起きる可能性はゼロにはできない。そして事故がおきてしまえば途方もない被害が出る。事故が起きなかったとしても原発で生み出された放射性物質は毒性を持ち続ける。そういうリスクは選択すべきではない」というものである40年以上にわたる反原発運動の論点はすこしも変わっていないのである。個別の技術的論点に則しての論争点はさまざまにあったが、根幹はここにあるのだ。
 だから、原発に対しては、「作るか、作らないか」、作られた後の段階では、「停止するか、停止しないか」の二者択一しかないのであって、「原発反対派と推進派の議論は不毛だ」というような見解は、論争の根本がわかっていないのである。このことは、原発事故に対する対応についても言えることで、原発を建設―運転した段階から、事故対応が可能なしろものではないのであり、事故に際してはどう避難するかがほとんど唯一の「危機管理」となってしまうのである。そのことを十分承知しているからこそ、原発推進派は「原発事故は起こらない」と「安全神話」を言わざるを得なかったのである。もし、原発の事故の可能性を認めたら、とても作れないという結論しか出ようがなかったからである。
 ではどうしてこのような原発が作られ続けてきたのか、その社会的政治的根拠については、後にのべることになるであろう。

3・11以降福島原発で何がおこったのか

 3月11日の大地震を契機に、福島第一原発で3機の原発が炉心溶融(メルトダウン)するほどの事故が発生したのであるが、当初にキャンペーンされた「大津波による外部電源の喪失による事故」とは異なった経緯をとっていたことが明らかになってきている。「大津波による外部電源の喪失」は確かに定期点検中のものまで含めて四機にまで事故が拡大する根拠にはなっているのであるが、それ以前から炉心溶融に発展するほどの事故が発生したらしいとされてきているのである。
 経過に沿って見ると、地震発生は3月11日14時46分であるが、47分に運転中の福島第一原発一号機〜三号機が自動停止し、同時に外部(通常)電源が停電する一方で、非常用ディーゼル発電機が起動したとされている。この後、大津波によって非常用ディーゼル発電機が流され事故が発生したというのが当初に発表されてきたことであった。
 ところが、一号機の事故は地震直後から発生しており、熱交換機系統に不具合がおき、圧力容器の圧力が下降する一方で格納容器の圧力が急上昇するという経過をたどっている。これは地震の振動などで冷却配管が破断するなどの「冷却水喪失事故」が発生していた可能性が強いというものである。津波襲来は地震発生の約50分後であり、その後、二号機、三号機もあとを追うように炉心溶融へと突き進んでいくのであるが、これらはおそらく「大津波による外部電源の喪失」によるもので一号機の事故原因とは明らかに異なるのであり、一号機の事態進行ははるかに先行している。
 一号機の原子炉建屋での水素爆発は、3月12日の15時36分であり、三号機の原子炉建屋での水素爆発は3月14日の11時01分である。この時間差は、一号機の事故の進行がはるかに先行していることを示してはいたのだが、地震直後から一号機が炉心溶融事故を起こしていたことが東京電力―政府によって公式に発表されたのは、事故後2ヵ月以上経ってからであった。だが、この一号機の炉心溶融は、遅くとも3月12日の6時段階には起こっていたというだけでなく、東京電力はそれを知っており、それからさほど経たない段階で政府関係者も知っていたのである。これについては、原子力安全・保安院が、3月12日14時段階で「燃料が部分的に溶けている可能性」と発表していることからもわかる。ところが、東京電力が「炉心溶融は起きていない」と強硬に主張したことによって、原子力安全・保安院もこれを追認もしくは黙認する態度に変わっている。そして、政府総体もこれに追随したのである。この3月12日早朝段階での「炉心溶融」の確認は、燃料棒内の放射性物質が敷地内外で確認されたことによるものであり、これは燃料棒損傷―「炉心溶融」ばかりか、格納容器そのものが損傷していることをも示していたのである。この段階で、付近住民の退避、少なくとも50キロ圏内の退避が開始されていなければならなかったはずなのである。実際、3月14日には、現地近くの原子力安全・保安院職員は、50キロ以上離れた郡山に退避し、自衛隊員も郡山駐屯地へ撤退している。これは、危険はすでにわかっていて自らの安全は確保しながら、意図的に住民の退避だけを先延ばししたとしか言いようがないのである。
 フランス大使館は、3月13日の段階で自国民の首都圏からの退避勧告をおこない、大使館も休館に入っているが、これは決して非難されてきたような過剰反応だったのではないのである。その後、3月16日に、米大使館からも自国民に50マイル圏内の退避勧告がおこなわれているが、距離評価の多少の基準の違いはあれ、妥当な判断だったことがわかるのである。これらはその後になって、いずれも「過剰反応」や「根拠のない措置」だったと対応が変更されているが、明らかに手持ちの情報にもとづいて現在から判断しても正しい「勧告」をしたのであり、その後の日帝政府の対応を擁護するために、迎合した内容に「軌道修正」しただけである。
 遅くとも一号機の水素爆発の起きた3月12日の15時36分段階で、その後に実行された20キロ圏内の退避さえもがおこなわれなかったのは、東京電力が「炉心溶融は起きていない」と強硬に主張したことと、「混乱」「パニック」を根拠に政府がそれに追随した結果であり、その責任は許せるものではない。これは単に「政府に危機管理能力がなかった」せいではないのであって、この段階でも原発政策を遂行していくために意図的に情報操作をおこなう「危機管理」が続いていたことを示すものである。
 東京電力の事故報告の発表などによれば、炉心の損傷は遅くとも3月11日19時までには開始されていたというのであり、東京電力のシミュレーションでも地震発生の5時間後に炉心溶融にいたっていたとされている。このことは、「津波対策の不十分性」による電源喪失が事故の原因などではなく、そもそもこの事故は、原発が地震の振動に耐えられなかったことから始まっていることを示しているのである。一つには耐震基準なるものがいかにいいかげんであったかということである。原発は配管のかたまりのようなものであり、それが大地震に耐えられるはずがないし、それが冷却水系統の破断に至れば、大事故になるというもっとも古い論争点が実証されたわけである。そもそも、一号機の地震の際の揺れは「耐震設計基準」以下だった、と東京電力自身が発表しているのである。このことは、一号機のみならず、同様の振動にさらされた第一、第二の福島原発総体、宮城の女川原発、青森の東通原発は、配管になんらかの損傷を受けたと考えねばならないということなのである。それどころか二つには、一号機の事故経過を見てみると、本当に制御棒がきちんと挿入されたのかさえ危ういと考えざるをえないということである。一応運転時の臨界状況はおさまったようであるから制御棒はおおむね挿入されたようであるが、その後の経過をみると、挿入時に燃料棒を傷つけた可能性も考えねばならないのである。地震などの緊急時に制御棒が挿入されるのかどうかは、本当は実際にやってみなければわからないのであって、地震の様態や原発の立地などで揺れの強度のみならず形態が異なるのに、これが100パーセントどの原発でも作動すると考えること自体が無理なのである。ところが、すべての原発の「緊急対策」はこの制御棒の挿入を前提としているのであり、これがうまくいかなければ、必然的に大事故へと進展する。日帝足下の50機以上ある原発のすべてが、あらゆる事態に際して、緊急時の制御棒挿入が100パーセント作動するということをまともに考えているとしたら、およそ技術者や科学者の名に値しないだろう。
 このように、3月11日19時までには燃料棒が損傷を開始していたとされるのであるが、もっとはやく進行していた可能性が強く、地震後数時間で炉心溶融(メルトダウン)に至り、溶融燃料が格納容器を食い破る溶融燃料流出(メルトスルー)がおきたのではないかと考えられる。問題は、格納容器の損傷がこの炉心溶融の結果なのか、それとも地震によってすでに損傷していたのかわからないことである。このような状況を考えると、一号機でこの段階で再臨界にいたらなかったのは幸運だったと言うしかない。ただ、格納容器の損傷と炉心溶融のことは、現場にいた東京電力の職員にはわかっていたのであり、だからこそ、3月14日に職員の第一原発から10キロはなれた第二原発への退避をおこなおうとしたのである。すでに見てきたように、現地近くの原子力安全・保安院職員や、自衛隊員が50キロ離れた郡山へ撤退しているにもかかわらず、「原発周辺半径20キロ〜30キロの屋内退避」が指示されるのは、翌3月15日になってからである。この段階では、三号機建屋も水素爆発をおこしており、二号機、三号機の炉心溶融(メルトダウン)―溶融燃料流出(メルトスルー)が確実だったにもかかわらず、東京電力は格納容器の猝技瓩魘弁する一方で自分たちの逃亡だけを考えていたのである。