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東北関東大震災被災労働者人民支援大運動を

福島原発事故と反核・反原発運動 (987号4面)

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 福島原発事故と反核・反原発運動  
 川原六郎

放射線の危険性について

 福島第一原発周辺の放射線強度や残留放射性物質の影響は、とても20キロ圏内瓩砲箸匹泙蕕覆ぞ況であることは明らかになっており、特に食品関係の汚染が、当初の水道水、葉物野菜からお茶、牧草や稲藁による牛肉と、蓄積―濃縮されながら汚染が進行・拡大していることが判明している。これが、根菜、さらにはコメなどにまで至るであろうことは明らかである。今秋段階では100キロ〜200キロ周辺のコメが「規制値」以上になること必至なのである。また漁業関係では、当初シラスなどがクローズアップされたが、これが食物連鎖を通して蓄積―濃縮が進み、少なくとも近海漁業の大部分が影響を受けることは必至である。現在は震災の影響で事態が明確になっていないことと、食物連鎖を通した蓄積―濃縮に時間がかかるために結果が出ていないだけなのである。
 この放射線の犂躙雲瓩呂匹猟度なのかが問題となるのであるが、実際のところ、そのような確実性のあることを確言することはできないと言わねばならない。ただ、放射線は、その性格からいかに少量でも、犂躙韻ない瓩噺世Δ海箸呂任ないということは確かである。例えば紫外線は一般的には放射線とはあまり考えられてはいないが、放射線の一種であるガンマ線やX線と同様に電磁波の一種なのであり、この照射が狷焼け瓩箸いΣ仆をおこすことは周知のことであり、いくら少量でも皮膚に損傷―影響を与えるのである。要するに、体の回復がそれより強いかどうかが癌などの最終問題の発生の結果としてあらわれるということである。電磁波としてはガンマ線やX線は紫外線より透過性が強いのであり、それ以外のアルファ線、ベータ線、中性子線などでも多少の違いはあれ同様の推論が可能である。急性症状を発症する放射線量については、広島、長崎の例などから推測が一定可能である。しかし、低レベルでの放射線被曝による発症については、データは存在しないというわけではないのだが、慢性的に低レベルでの放射線を浴びた場合の結果など正確なことが言えるほどの蓄積があるわけではないし、そもそも個人的な違いが大きすぎる上にどれだけの被曝量なのかは誰もが正確に言えるわけではないので確定的なことが言える状況ではない。ただ、少なくとも政府などの発表する「規制値」なぞは、信用するべきではないことは確かである。すでに見たように、放射線についてはある量を浴びても「安全」なぞという量は存在しないのであり、いくら少い量でも何らかの影響は存在すると考えたほうがいいのである。ただ言えるのは、残りの寿命が少ない人間ほど影響を考えなくとも良いのであり、年齢の若い人間ほど影響を被りやすいということが言えるという程度なのである。また、だいたいが、外部被爆よりも内部被爆のほうが影響が大きいということは言えるのであるが、爛曠奪肇好櫂奪鉢瓩噺討个譴詁団蠱楼茲鮟いた100キロ〜200キロ圏内の現在の被曝量は、要するに通常稼働の原発で働く人間が浴びる放射線量に匹敵すると考えればいいのであり、そこでは政府や電力事業者が認定したか、しなかったかはともかく、相当の確率で被曝症の労災患者が出ていたことは確かなのである。言うまでもなく、20キロ圏内瓩防づ┐垢襪箸気譴覘爛曠奪肇好櫂奪鉢瓩蓮△修粒領┐さらにはねあがるであろう。この問題に関して、政府の「被爆線量規制値」引上げに際して、抗議して参与を辞任した小佐古は、本来が原爆症訴訟の国側証人として被爆線量の影響を低く考えるよう主張した純然たる御用学者なのであり、そういった人間さえも「これはあまりにひどい」と考えるのが現在の「被爆線量規制値」なのである。
 チェルノブイリの場合は原子炉暴走の過程での水蒸気爆発によって高濃度の放射性物質がまき散らされたために、急性症状―死亡の例が出ているのに対し、福島原発事故の場合は、総体としての放射性物質の量はともかく、現在までの死亡例は津波によって死亡した二人があるだけである。この二人は明らかに死に至る放射線量を浴びたと考えられるが、それ以前に津波の過程で死亡したのでそのことが問題にされないだけである。しかし、膨大な汚染水をはじめ、周辺の瓦礫などの放射性物質汚染はすさまじいものであり、いずれこの影響は地域を拡大して問題となってくるのである。福島第一原発一―四号機のウラン235は、広島型原爆の30個分とされ、そのうちどの程度の量がまき散らされたかははっきりしないが、決して少量と言えるような量ではないのである。
  ここで問題なのは、放射性物質は人為的手段によって無くしたりできないということである。「汚染水処理の新技術」として行なわれていることは、特別のことでもなんでもなく、井戸水や川の水などが飲用に適さない場合に、ミョウバンなどを混入して沈殿を進め、さらに濾過装置を通して幾分かでも水をきれいにしようとするのとまったく同様のことを大規模にやっているだけである。福島原発で行なわれている「汚染水処理」の場合でも、水そのものの放射線量は幾分下がっても、放射性物質は、沈殿し、あるいは濾過装置にたまって濃縮された物体としてより高レベルの物体として残るのである。このことは、結局この高レベル放射性物質をどこかで「保管」しなければならなくなるだけであり、問題は別の形になるだけだということである。また、汚染水の放射性物質のレベルはいくぶんは下げることはできるのであるが、ゼロにはできないのであり、いずれ「基準値」以下になったとして海洋投棄するかしないかが問題になってくるのである。この「除染装置」は、故障率が高い、稼働率が低いとして問題になっているが、初期立ちあげの際のドタバタはともかく、根本的にはこのような大量のしかも高レベルの放射性物質の汚染を想定したものではないのであり、逆にこの程度でも稼働していること自体が驚くべきことである。そして、それでも問題の本質的解決にはなっていないと言うことは、すでに述べた通りである。
 その意味では、政府の発表した「廃炉への工程表(案)」による数十年後の「原子炉の解体・撤去」なぞ、まったく技術的展望がないということである。そもそも、世界的にも、事故をおこした原発の「廃炉」の技術など存在しないのであり、事故をおこさない場合でも最終処分をどうするかが技術的に確立していないことから反原発運動が展開されてきたのであって、それをあたかも何らかの展望があるかのように言う「廃炉への工程表(案)」を許してはならない。「解体・撤去」は実は放射性物質の拡散の危険性をより増大させるだけであり、これは絶対に阻止しなければならないのである。

原発の経済的コストについて

 電気事業体連合会の発表してきたキロワット時あたりの発電コストは、5円ほどで、水力、火力のいずれよりも安いとされてきた。これらの電力会社の現行の発電方法が10円以下なのに対して、いわゆる風力、地熱などの「自然エネルギー」は15円程度、太陽熱発電は20円をはるかに超えると主張して、これを原発を推進する根拠の一つとしてきたのである。ところが、今回の事故を契機に、公的、私的のいろいろな立場から原発の発電コストが検証された結果は、いずれも「電源立地三法」による交付金を加えると10円内外近くと倍加し、使用済み燃料の処分コストを予定されたもので計算すると10円台前半までに増加することを想定すれば15円内外になるというのである。これは、電気事業体連合会の発表する風力、地熱などのコストとほぼ同じである。しかも今回の事故のような大規模事故の賠償金をコストに含めるとコストがどれだけになるか見当もつかなくなるのである。その上に、電気事業体連合会の発電コストは、稼働率が「想定どおり」の場合であって、日帝足下の原発の稼働率は世界でも高い方ではないのであるから、実際は水力よりもコストが高いだろうとは従来からも言われていたことである。
 さらに注意しておかなければならないのは、今回の原発事故の事故対策費用がどれだけかかるのかである。当初、対策には1・5兆円から3兆円が必要という数字が出されてきていたが、これだけでも東京電力の推計純資産に匹敵すると言われていた。その後、政府試算による4兆円という数字が出ている。実際には、すでに東京電力はこの段階で実質破産していたのである。東京電力を「国有化」するかしないかとかの議論が出たことがあったが、それを議論する以前にブルジョア的範疇の手法でさえも、本来は東京電力の破産処理をどうするかを考えなければならない状態なのである。それが東京電力が未だに生き延びているのは、処理費用を出さずに済まそう、賠償費用を踏み倒そうと躍起になった結果と、「原子力損害賠償法」の「免責事項」によるのである。現在出されているのはほとんどすべて「現在段階で」の注釈つきの額なので議論の前提にならないのであるが、唯一出されている全体想定額は、「もしスイスで同じような原発事故が起きたならば」という想定で出された4兆フラン(約366兆円)という数字である。これは、2002年から2007年までスイス政府の原子力安全委員会委員長だったジュネーブ大学教授・ヴィルディによる見積もりで、実務実績に基づいたものであり、決して荒唐無稽なものではない。メキシコ湾における原油流出事故で、人的避難をともなわないのにブリティッシュ・ペトリアム(BP)の賠償金額が数千億ドル(兆円)単位となるとされているのに、そもそも四兆円という政府試算はあまりに低すぎると言わねばならないだろう。全国銀行協会は、「原発賠償支援法」の成立がなければ、東京電力への新規融資はあり得ないとしていたのであり、「政府支援」がなければ運転資金や社債償還が滞り、2012年3月破綻必至とされていたのである。要するに東京電力は、もはや実質的には破産状態にはいっているということである。巨大原発事故を起こした電力会社は、すなわち破産することが明らかになっているのである。
 ここで見ておかなければならないのは、「原子力損害賠償法」の「ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によって生じたものであるときは、この限りではない」とする「ただしつき免責事項」である。この法律制定時の想定は「関東大震災の三倍規模」とされたが、人間の災害対処能力は進むのであるから、法的にもこの上限は引き上げられていく。先に見たように、東京電力が一号機を地震発生時の揺れにより事故が発生したと決して認める事ができないのは、ここに理由があるのだ。津波発生による事故ならば、たとえ2009年の経済産業省の審議会での「貞観地震」への言及があったとしても、まだ論争点となり、「免責」となる可能性がある。ところが、「耐震基準」の範囲内の揺れから炉心溶融がはじまったとしたら、現行ブルジョア法体系でも「免責」となる可能性などなくなるのである。
 さらに「電力不足」の問題について言えば、要するに、電力会社は原発以外の新規電力源のために投資するつもりがないという資本の論理からすれば当然のことの帰結であって、能力がないからではないのである。すでに存在する設備を無駄にすることを、理由もなしに企業がやると考える方が間違っている。原発はやらないという前提にたたないかぎり、「自然エネルギー」に限らず新たな電力は開発―建設されないのは当然なのである。その潜在能力からすれば、「電力不足」が電力会社ほかのデマキャンペーンであることは、すでに明らかなのだが、これに騙される人間がまだいるようなので述べておく。
 もう一点だけ、今回の事故に関連して電力会社の金銭感覚の例をあげておくべきだと考えるのは、事故当初に鳴り物入りで「非常電源車が現場に急行中」とされた非常電源車についてである。結局、この非常電源車は、ケーブルのコネクターが合わなくて急場の役にたたなかったとされているのであるが、実態はそのようなものではなかったようである。この非常電源車は、東京電力が切り札として挙げたので、防衛大臣・北沢が、自衛隊のヘリで運搬するとまで力を入れたものである。ところが、4月7日の余震で東通原発の電源が途絶した際に、最後の切り札とされたこの非常電源車は容量が小さくて冷却装置の運転―冷却機能の復旧には使用できないことが暴露され、冷却装置の運転に足る非常電源車は、全国に数台しかないと新聞報道されたのである。つまり、福島に送られた非常電源車は、この数台であったはずである。しかし、この大容量の非常電源車でさえも、短時間しか冷却装置の運転ができなかったというのである。東京電力では、非常電源車に冷却装置の運転に十分な容量がないことははじめから承知していたか、遅くとも冷却装置の運転に入ろうとした段階で気付いたはずである。さすがに本当のことを言うわけにはいかないので、ケーブルのコネクターが合わなかったとしたのである。だが、考えてもみよ、電力会社にケーブル・コネクターがなくて、いったい国内のどこにあるというのか。
 非常電源車はそもそも一台で数千万円単位の予算がかかるが、冷却装置の運転可能な容量のものを発注すると予算が二桁ははねあがるというシロモノなのである。原発事故は起こらないことを前提とする電力会社は、東京電力のみならず、どこでもそんな「不必要」な予算を計上しなかったということなのである。